GoToキャンペーンは新型コロナ感染拡大防止対策と矛盾する
新型コロナウイルスの感染が再び拡大している。
先週木曜日(12日)から土曜日(14日)までの全国の感染者は過去最多を記録した。
(2020年11月16日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)
もしこのような状態のままならば、来年初頭にも日本は厳しい状況にさらされるかもしれない、と専門家も危惧している。
尾身 茂会長もGoToキャンペーンの停止を提言した
(2020年11月16日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)
政府は、GoToキャンペーンが新型コロナ感染拡大に影響を及ぼしているという明確なデータは無い、したがって今GoToキャンペーンを止めるという考えはない、とキャンペーン取りやめに消極的である。
周知のことだが新型コロナウイルスは主として感染した人間がキャリア―となってあちこちに運ばれる。
わかってはいても目に見えないから日頃の行動でこのことを失念してしまうことがある。
新型コロナウイルスは感染した人の呼気中に存在するだけでなく、その人が触れた物(車のドアの取っ手や電車の手すりのステンレス、ガラスそして紙幣など)にも付着する。
そして気温の低い冬ほど生存期間も伸びて最長28日間もウイルスは生き延びるという(https://forbesjapan.com/articles/detail/37557)。
新型コロナに感染すれば必ず症状が現れるとは限らず、無症状の感染者が罹患したとも知らず、GoToキャンペーンを利用して行動し、ほかの正常な人と接触することもあるだろう。
新型コロナウイルスにとってこれほど手軽な伝染機会はないだろう、なにしろ日本政府のGoToキャンペーンが後ろ盾になっているのだから・・。
政府はGoToキャンペーンで何千万の人が利用したと鼻高々だが、例えばGoToトラベルで観光地を訪れた無症状の感染者から現地の人が感染したという事例を当局が調査をしたということを聞いたことがない。
加藤官房長官は16日、GoToトラベルを利用した人のうち新型コロナの感染が確認されたのは148人だと語った。
9日の感染者数は131人だったので1週間で17人増えたことになるが、これは10月末で3976万人が利用したことと比べると微々たる数字だという風に聞こえたのは私だけだろうか。
それではGoToトラベルを利用した感染者から観光地(現地)の人たちが感染した例はないのだろうか。
現地では保健所も医療機関もそのような情報を持ち合わせていない、したがってそういう細かい調査ができないということらしい。
このような不確かな情報だけでGoToトラベルやGoToイートなどのGoToキャンペーンをこのまま継続していいのだろうか。
新形コロナ禍で痛めつけられた経済をできるだけ早く立て直すことはもちろん理解できる。
しかし、それは信頼性のあるワクチンができ、医療の現場も余裕ができて新型コロナウイルスの感染拡大をコントロールできるようになって収束あるいは終息のメドがついた時にはじめてGoToキャンペーンなどを取り入れるべきであろう。
世論調査によれば「感染者数が収まるまでGoToトラベルは全国で止めたほうがいい」という意見が53%を占めた。
(2020年11月16日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)
14日に西村経済再生担当大臣は「感染の状況がステージ3、4になればGoToの見直しはあり得る」と語ったが、今の時点では各自治体に感染防止策を任せたままである。
(2020年11月16日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)
以前も記したが、人間がこのような疫病の蔓延に遭ったとき、今までと同じような生活レベルを維持しながらでは感染対策は絶対にうまくいかない。
中途半端になるだけである。結果、終息に何年もかかることになる。
今までの生活レベルが多少下がっても、という覚悟で徹底的に感染予防対策を講じるべきであると思う。
新型コロナに感染すると退院後も後遺症に深刻な症状が現れることがあるという。
それは髄膜炎や脳炎・味覚・臭覚障害・脱毛・記憶障害などである。
これは年齢に関係ない。
20歳代の患者は新型コロナウイルス感染によって髄膜炎を起こし、退院後も直近1、2年間の記憶があいまいになったという。
人間は健康が第一。
命を長らえて健康であれば、どんなことも再起できる可能性はある。
「GoToキャンペーン」と「新型コロナ感染拡大防止対策」という矛盾した2つの政策、私にはこれが「二兎を追うもの一兎を得ず」の令和版のように思えてならない。
新型コロナ禍で勤め先が倒産し、あるいは従業員削減で毎月の収入が途絶え、GoToキャンペーンにまったく関わりのない人たちが毎日の生活に困窮している。
政府は、今はGoToキャンペーンに莫大な予算を使うのではなく、新型コロナ感染拡大予防対策を最優先し、かつ上記のような人たちのために救いの手を差し伸べるべきであろう。