安倍元首相の「国葬」のゴリ押しは昨年の東京五輪強行開催とまるで同じ

 政府は26日、安倍元首相の「国葬」に約2億5000万円の支出を閣議決定した。

 

 この中には警備費などそのほかの費用は入っていないという。

 それでは総経費は一体いくらになるんだろうか。 何億円かかろうとも自分の懐を傷めない税金とみれば簡単に決めてしまう政治家たち。
 一体この国の政治家たちはどこに顔を向けているのだろうか。

 

 そういえば「『国葬』に反対する者はバカだ」と極端な発言をした政治家がいた。
 このような人に私たちの国を治めてほしくない。

 

 多くの国民の反対を押し切って、何が何でも「国葬」を行おうとする岸田首相の意図はわかりきっている。

 岸田首相は、まるで人寄せパンダのように安倍元首相の「国葬」を利用して外国の要人を日本に呼び寄せ、そこで外国の要人らと会話の場を設け、内外における己の評価を高めたいのである。そんなことに自分の国葬が利用されるのを知ったら安倍元首相も黙ってはいないだろう。

 

 安倍元首相が凶弾に倒れて、明確な法的根拠もなしに国葬閣議決定されるまであっという間だった。
 そして国民の多くがこの国葬に反対しているのにも関わらず、強引に進めようとするやり方は昨年の東京五輪の開催に至るまでの状況によく似ている。

 

 その東京五輪は開催までのゴリ押しがたたったのか、五輪組織委員会の元理事らが逮捕され、あれほど華やかに演出された東京五輪が金と欲にまみれた薄汚れた祭典の烙印を押されそうになっている。

 

 同じように強引に行われようとする安倍元首相の「国葬」がその後に及ぼす影響を考えると決して安穏としていられない。
 なぜならこの「国葬」は「旧統一教会」という宗教団体と密接に絡んでいた安倍元首相の「国葬」だからである。

 安倍元首相の「国葬」を行えばこの宗教団体がこのことを布教に利用しないとは言えまい。

 

 自民党と「旧統一教会」との密接な関係がいまだに取りざたされている今、安倍元首相の「国葬」を強行したならば、日本の実情をよく知らない諸外国から「国葬」はその宗教団体が絡んだものだと誤解される恐れは十分にある。

 

 また法的な根拠に基づかず、国会で討議さえも行われぬまま決まった今回の安倍元首相の「国葬」が、日本全国民の意思だとこれもまた外国から誤解される恐れは十分にある。

 

 このようなことを避けるためにも、今回の安倍元首相の「国葬」は直ちに取りやめるべきである、と私は思うのである。

安倍元首相の国葬に疑義あり!

 岸田首相は安倍元首相の葬儀を国葬としてこの秋に行う方針であることを表明したが、その後ろ盾として内閣府設置法を挙げている。

 

 戦前は独立した「国葬令」というのがあった。

 戦後、国葬されたのは1951年の貞明皇后、1967年の総理経験者吉田茂氏、1989年の昭和天皇である。
 皇室以外では総理経験者の吉田茂氏だけであることを考えると「国葬」を軽々しく扱ってはならないと思うのである。

 

 また総理経験者の大平正芳氏の葬儀が内閣と党が費用を折半する内閣・自民党の合同葬として行われたこともある。

 

 過去にこのような事例があるにしろ、今回安倍元首相の葬儀を全額国費でまかなう国葬とするにはあまりにも根拠に乏しい。なぜなら、内閣府設置法には一言も「国葬」とは明記されていないからである。

 

 内閣府設置法には国が行う「儀式」について触れているだけであり、このことを気にした岸田首相はさかんに「国葬儀」と言う言葉を口にしている。

 安倍元首相の「国葬」はあくまでも内閣府が行う「儀式」であるということを国民に印象付けようとしているとしか思えない。

 

 岸田首相は、参院選挙中の応援演説で凶弾に倒れるという衝撃的な事件で命を落とした安倍元首相に対して各国から多くの弔意が寄せられたことと、今までの安倍元首相の業績を称えあげようとする一部の世相に乗じて国葬とする理由にもしている。

 

 この10日間のメディや世論をみると、凶弾に倒れた後は安倍元首相の評価が大きくプラスに傾いているが、なぜだろう。
 自民党が大勝したさきの参院選でもこの銃撃事件が有利に働いた、とも言えるだろう。

 いずれも安倍元首相銃撃事件が無条件に多くの同情を集めたからだろう。

 

 しかし、このような凶悪事件が起きるたびに犠牲者の今までの評価がまるっきり逆転するようなことは極力避けなければなるまい。そうでないと将来に誤ったことを伝えてしまう恐れがある。

 

 安倍元首相に対する今回のような銃撃事件はどんな理由があろうとも決して許されるべきものではない。

 しかしながらそれをもって被害者の生前のすべての行いを無条件に褒めたたえ、国葬とする理由にするのは間違っている。

 

 安倍元首相が国政に尽力したということを否定はしない。
 しかし、その恩恵に浴した者は国民ではなく、安倍元首相と関係する仲間うちだけであったことを思うと、それが果たして正しい国政であったのか、疑問に思う。

 

 安倍政権のとき、政府から盛んに景気の良い数字が発表されたが、多くの国民の感覚はそれとはかけ離れたものであったことが何度もあった。

 

 今回の銃撃事件によってあの「モリカケ」問題が疑惑のままで安倍元首相が逝ってしまったことは残念でならない。
 それは「死者に鞭打つ」ことが特に忌み嫌われる日本において、この問題がうやむやになりそうな気配がするからである。

 

 森友問題において公文書改ざん事件で自殺した赤木俊夫さんは、今回の銃撃事件とその後の世論の状況をどのような気持ちで天国から眺めているのだろうか、と思うのである。

一つだけのシステムに頼ることの危険性

 今回のKDDIの通信障害は日本国内に大きな影響を及ぼした。

 

 この通信障害は7月2日の午前1時半ごろ、KDDIが通信回線のメンテナンスとしてルーターを古いタイプのものから新しいものに取り換えようとしたときに起きたという。

 作業中に異常のアラームが鳴って、あわてて旧いルーターに戻したが異常は収まらず、これが大規模通信障害の発端となった。
 その時間はわずか15分だったという。

 

 通信量が少なくなる深夜を見計らってルーターの交換作業を行なおうとしたのであろうが、そのわずか15分でも大量の通信データが押し寄せてきたのである。

 たとえ深夜であろと短時間の作業であろうと、現在の様な情報社会では大量の通信データが押し寄せるであろうという事前の予測がKDDIの関係者に希薄だったとしか言いようがない。

 

 ルータ交換作業で滞った大量の通信データが発端となって通常の処理ができず、今回の様な大量通信障害となったのである。

 

 今回のKDDIの通信障害のニュースを流すTVニュースの中で少しびっくりした場面があった。

 

 それは、このような通信障害が起きた時、携帯電話の代わりに固定電話や公衆電話を使うことを勧めていることであった。

 

             

        公衆電話の使い方があらためてテレビで流されるなんて思いもしなかった

           (2022年7月4日 MBSテレビ「ゴゴスマ」より)

 これ自体はおかしくもなんともないが、驚いたのは公衆電話の使い方を詳しく教えていることであった。

 

 ああ、スマホしか知らない今の若い人たちの中には固定電話や公衆電話を見たことも使ったことも無いのだな~、と年代の差を感じたのだった。

 

 ちなみに我が家では個別のスマホ以外に固定電話を今も使っている。ただその使用頻度は極めて低い。
 スマホはそれぞれ異なった会社のものを使っている。

 

 今回のようなことがあると、家族はできるなら異なった会社のスマホを持つこと、そして固定電話も持つことという二重三重の通信手段を持つ意味はあるのかもしれない。

 

 今回の件で一つだけのシステムに頼りすぎることのリスクを改めて知ったのである。

アベノマスク、配送料に約10億円!

 政府は約8000万枚もの在庫を抱え、その保管料に6億円もかかっていた「アベノマスク」を希望者に配布するとしていたが、厚労省によると配布希望者は1月末で約37万件あり、応募枚数は約28000万枚に上るという。そしてこれらの配布希望者への配送料が約10億円もかかることを知って驚いてしまった。

 

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 大量保管の「アベノマスク」をそのまま廃棄すれば6000万円の費用だが、それじゃもったいないと配布すると10億円(!)もの配送費用がかかるという。

 

 いっそのことすべて廃棄した方がマシ!、だと普通じゃ考えてしまいたいが「日本人の感覚ではそうはならない、ちゃんと使ってもらえば経済効果もある」とは政府関係者の発言だ。

 

 欠陥だらけの「アベノマスク」の配送料に約10億円もの税金を使ってどの程度の経済効果があるのか、聞きたいものである。

 

 猛威をふるうコロナ禍で生活基盤を脅かされている多くの人が国からの支援を求めているさなか、「アベノマスク」の配送料に10億円もの大金を費やすことにどんなに矛盾を感じているだろうか。

 

 政府は、在庫の「アベノマスク」を希望者に配布すると言った以上それを引っ込めるわけにはいかないかもしれない。

 

 安倍政権下で配布された「アベノマスク」はコロナ禍で市場のマスクが不足したことを補う(最適な配布時期は大きく失してしまったけれど)という明白な政策理由があったために無償だったのだ。

 しかし、今回の「アベノマスク」配布は大量の在庫を一掃するためだから、本来の目的とは大きく異なる。

 

 ならば現物は無償だとしても配送料ぐらいは配布希望者の負担と変更すべきだろう。
 もしくは配布希望者に配送するのではなく、取りに来てもらったらいいのだ。

 

 このことによって配布希望者や配布枚数が激減するかもしれない。でもそれが「アベノマスク」に対する真の評価であるかもしれない。

 

 自分の懐を傷めない税金とみれば、何十億何百億円かかろうとも湯水のごとく使おうとする発想に怒りがこみ上げる。

多くの配布希望申請があったアベノマスク、一体何に使われるのだろう?

 昨年末、約8000万枚もの大量の在庫が問題となっていた「アベノマスク」について、厚労省は希望する自治体や個人に無料で配布すると決めた。

 

 その「アベノマスク」の配布希望申請が約2億8000万枚分もあったと、安倍晋三元首相が27日の会合で得意げに披露している姿がTVに映し出されていた。

 

 その数に少し驚きもしたが、よくよく考えればさもありなんという気もした。それは必ずしもマスクとして使われるだけではあるまい、と思ったからである。

 

 そう思ったのは次のようなニュースと昨年末に接していたことに起因する。

 

 関西に住む85歳の女性が「マスク」に罪は無いとしてアベノマスク5枚を使って産着に仕立てたという話である。

 

 布製のアベノマスクは前にも書いた通り、二つ折りにした布を5枚重ねていて市販の不織布マスクと比べても分厚い。
 この布製のアベノマスクの糸を丁寧にほどくと、縦26センチ、横64センチのガーゼ地になるようだ。


 アベノマスクを産着に仕立てた女性は「市販のガーゼより、織り込まれている糸が多く、布地がしっかりしている」と言っていた。

 

 不織布マスクと比べてウイルスの遮断が弱い布製で、かつ大人が使うには小さすぎるという難点のあるアベノマスクに多くの配布希望申請があったのは、ひょっとするとマスク以外の他の目的があるのではないか、と思ったのである。

 

 希望者に配布されたアベノマスクがマスクとしてそのまま使用されるのであればいい。

 またアベノマスクが本来の目的ではなくとも、産着にしたり、ガーゼとして配布希望者が個人的に使ったりしてもそれはそれで致し方ないとは思う。

 

 しかし、配布希望者の中にこのアベノマスクで儲けを企んでいる者が誰一人としていないと断言できるだろうか。

 

 今回のアベノマスクの配布希望者には材料費とか送料だとか一切の金銭負担は無い。
 極端に言えば、タダで手に入れた大量のアベノマスクを、原型かあるいはばらしてガーゼなどとして売ることができるのである。売れるかどうかは別として・・・。

 

 多くの税金を使ってまで行ったアベノマスク配布施策がもしこのような形で「在庫一掃しました」と決されるのは今一つ納得がいかないのである。

本音をぶつっけ合ってこそ、最適な対策が生まれよう

 23日のテレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」で、新型コロナの感染拡大をめぐって専門家の二人が本音をぶつけ合っている討論を観て、何か爽快感を覚えた。

 

 二人とは京大の宮沢孝幸准教授と東京医科歯科大学病院の荒井裕国副病院長である。

 

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   (いずれも2022年1月23日 ABCテレビ「ビートたけしのTVタックル」より)

 

 最近のオミクロン株感染拡大にどのような対応をしたら良いかということについて、二人はそれこそ歯に衣を着せぬ言い方で激論していた。

 

 宮沢氏は、オミクロン株の特性に鑑みて規制を柔軟にすべきだと言い、荒井氏は現場の立場からすると宮沢氏の意見は到底受け入れることはできないと強く反論していた。

 その様子は今にも相手に殴りかかるかとも思えるような厳しい発言の連続だったが、そこにはお互いに理性が働いていてそんなことは起きなかった。


 このようにまるっきり考えの異なる相手に対して遠慮や忖度を抜きにして、お互いに本音をぶつけ合うということは決して間違ったことではないだろう。

 

 最近の日本人、特に行政に携わる人についてこういうことがよく言われる。
 「言うべきことを言わず、言われたことしかしない・・・」と。

 

 政府分科会などにおいても、このような本音の激論を戦わすことによってオミクロン株の感染拡大防止についてもっと効果的な対策が生まれてくるのではないかと思うのである。

「ステイホームなんて必要ない」だって!?

 新型コロナウイルスのオミクロン株の感染拡大で19日の尾身茂・政府分科会会長は「ステイホームなんて必要ない」と発言したが、これを最初聞いたとき経済界の誰かが発言したのかと思った。

 

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       (2022年1月21日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)

 

 新型コロナの感染拡大防止を純医学的な立場から意見を述べるとすれば、上記のような発言はあり得ないだろう。
 さらに尾身会長は「人流抑制でなく人数制限がキーワード」とも言っているが、人数制限をするような状況になる前には常に「人流」があることを忘れてはなるまい。

 その「人流抑制」を放っておいて「人数制限」云々を言うのは矛盾している。

 

 尾身会長の発言に対して、知事会の中では「会食の人数制限さえすれば出歩いてもいい」というふうに聞こえ、困惑したという。

 

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        (2022年1月21日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)

 

 政府分科会では「(人流抑制ではなく人数制限で)医療逼迫や社会機能不全に陥らない程度に感染者数を抑制する」というが、わざわざ「人流抑制」という言葉を外した意図が見えるような気がする。

 

 それは政府分科会が「都道府県をまたぐ移動自体は制限する必要がない」と言っていることなどから、近いうちに「GoToトラベル」などの施策を容認する環境を整えていくつもりかもしれない、と思えるからである。

 

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        (2022年1月21日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)

 

 7月には参議院選挙がある。


 コロナ禍の下で(おそらくまだコロナは収束していないだろう)与党が選挙で有利になるような社会環境はどのようなものか。

 まさかそのために新型コロナ感染予防策を利用するかもしれない、と言ったら言い過ぎか。

 

 政府分科会の関係者は、人流抑制と感染との関係に疑問符が付いたというがどのような疑問か、その明確な説明はない。

 

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        (2022年1月20日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)

 

 人間社会において経済活動が重要な事はわかる。
 しかし、今のようなコロナ禍において人類がこの先も生き続けていくために厳格な感染予防政策のために経済活動がある程度犠牲になるかもしれないことを恐れてはならないだろう。

 

 どんな災厄に見舞われても、命さえあれば人類は必ず立ち直ることができることを証明したいものだ。