安倍元首相の国葬に疑義あり!
岸田首相は安倍元首相の葬儀を国葬としてこの秋に行う方針であることを表明したが、その後ろ盾として内閣府設置法を挙げている。
戦前は独立した「国葬令」というのがあった。
戦後、国葬されたのは1951年の貞明皇后、1967年の総理経験者吉田茂氏、1989年の昭和天皇である。
皇室以外では総理経験者の吉田茂氏だけであることを考えると「国葬」を軽々しく扱ってはならないと思うのである。
また総理経験者の大平正芳氏の葬儀が内閣と党が費用を折半する内閣・自民党の合同葬として行われたこともある。
過去にこのような事例があるにしろ、今回安倍元首相の葬儀を全額国費でまかなう国葬とするにはあまりにも根拠に乏しい。なぜなら、内閣府設置法には一言も「国葬」とは明記されていないからである。
内閣府設置法には国が行う「儀式」について触れているだけであり、このことを気にした岸田首相はさかんに「国葬儀」と言う言葉を口にしている。
安倍元首相の「国葬」はあくまでも内閣府が行う「儀式」であるということを国民に印象付けようとしているとしか思えない。
岸田首相は、参院選挙中の応援演説で凶弾に倒れるという衝撃的な事件で命を落とした安倍元首相に対して各国から多くの弔意が寄せられたことと、今までの安倍元首相の業績を称えあげようとする一部の世相に乗じて国葬とする理由にもしている。
この10日間のメディや世論をみると、凶弾に倒れた後は安倍元首相の評価が大きくプラスに傾いているが、なぜだろう。
自民党が大勝したさきの参院選でもこの銃撃事件が有利に働いた、とも言えるだろう。
いずれも安倍元首相銃撃事件が無条件に多くの同情を集めたからだろう。
しかし、このような凶悪事件が起きるたびに犠牲者の今までの評価がまるっきり逆転するようなことは極力避けなければなるまい。そうでないと将来に誤ったことを伝えてしまう恐れがある。
安倍元首相に対する今回のような銃撃事件はどんな理由があろうとも決して許されるべきものではない。
しかしながらそれをもって被害者の生前のすべての行いを無条件に褒めたたえ、国葬とする理由にするのは間違っている。
安倍元首相が国政に尽力したということを否定はしない。
しかし、その恩恵に浴した者は国民ではなく、安倍元首相と関係する仲間うちだけであったことを思うと、それが果たして正しい国政であったのか、疑問に思う。
安倍政権のとき、政府から盛んに景気の良い数字が発表されたが、多くの国民の感覚はそれとはかけ離れたものであったことが何度もあった。
今回の銃撃事件によってあの「モリカケ」問題が疑惑のままで安倍元首相が逝ってしまったことは残念でならない。
それは「死者に鞭打つ」ことが特に忌み嫌われる日本において、この問題がうやむやになりそうな気配がするからである。
森友問題において公文書改ざん事件で自殺した赤木俊夫さんは、今回の銃撃事件とその後の世論の状況をどのような気持ちで天国から眺めているのだろうか、と思うのである。