安倍首相は自分より賢い者を周囲に置かない!?
8月も最終日なのにこの酷暑、こんな画で涼しくなるかな
みくりが池から雄山、富士の折立方面
ご存知のように日本の三権分立とは「立法」「司法」「行政」である。
立山室堂 みくりが池から大日岳方面
安倍首相がこのことを分かっていながら「立法府の長」と発言したのであれば、それは国会までをも手中に納めたいという野心の表れが出たということができる。
しかし、どちらでもなくて無知だったための発言だとしたら、それは総理大臣としての資質の問題である。
実は安倍首相は5月16日以前の4月18日の国会でも同じことを言っている。
立山室堂 室堂山荘と富士の折立方面
百歩譲って、安倍首相がわざと「立法府の長」と発言したのは野心の表れが昂じた結果だった、と好意的にとらえることはとてもできない。
これらの事実は安倍首相の資質の問題に直結するものであろうことは、今までの閣僚人事をみればわかる。
すなわち、安倍首相は周囲に自分より賢い者を置かない人事を行って政権を維持してきた、ということである。
やむなく自分より賢い者を置かざるを得ない場合、初期の段階でその者の手足をもぎ取ってしまう。
たとえば、大臣や役人たちが持っている知恵はとことん利用して自分の手柄にするが、裏では権限を最大限に振り回して反対する者の口をふさぐ手法を使ってきたことである。
しかし、そうだとしても自分より賢い人間を無意味に身近に置くということは危険である。
とにかく周囲は自分より劣る者でなければ安心できない。独裁を夢見る者が良く使う手法である。
組織の「オレ様化」である。
周囲の者は保身のためにそのことを忖度し、オレ様より「劣ることを演じ続ける」ことになる。
結果、周囲は権力者のイエスマンばかりになる。
そこで組織の活性は失われ、沈滞し、腐敗する。
立山室堂 みくりが池と雄山
今まで国会で発言した閣僚や役人たちの極端に委縮した態度をみると、これが民主国家の国会答弁なのかと何度思ったことか。
2016年5月16日の安倍首相の「立法府の長」発言は、行政府は当然だが、立法府までもが自分の思いのままに動く状態になるようにと願った発言だったのかと、自民党総裁選を前にしてあらためて思うこの頃である。