天狗になっていないか、、チェックしたい国会議員の資質

衆議院予算委員会で、自民党丸山和也参議院議員が「現米国大統領は奴隷の血筋をひく者」とか「日本がアメリカの51番目の州になっていたら拉致問題など起こらなかった」などと発言したことについて、その後「誤解を与える発言をして申し訳ない」と謝罪して発言の撤回をした。
 
冗談じゃない、誰が誤解した。
 
丸山議員が「私は青と言ったつもりだが(聞いた)皆さんが赤と受け取ったのであればお詫びしたい」というのと同じじゃないか。
 
古今和歌集の歌ではあるまいし、誰が「青」と「赤」を聞き間違えようか。
 
最近の自民党の国会議員の中には失言すると「誤解を与えたのであれば・・」といかにも聞く方にも問題があるようなお詫びの仕方をすることが流行っている。
 
このごろ自民党の閣僚や国会議員の中に奢りともとれる不快な発言が目立つ。
 
つい最近では高市早苗総務相の「放送電波の停止可能性」発言や丸川珠代環境相放射線の長期目標に「何の根拠もない」という発言がある。
 
おそらく閣僚というマントをひるがえして、マントの裏側にある脅しを見せつけたのであろう。
 
これらの閣僚たちはその後いろいろと理由をつけてこの降って湧いた難局(本人たちはそう思っている)をどうやり過ごすかに汲々となっているようだ。
 
この人たちに比べれば歯舞群島の「歯舞」を読めなかった島尻安伊子沖縄・北方担当相の失態は可愛いものである。
 
問題はこのような人たちが日本の国政に深く関わっていることである。
 
日本が神武景気、やれ岩戸景気とバブルの景気に浸っていた頃と比べると、現在の世界各国は厳しい環境にある。
 
その厳しい環境の中で日本国がしっかりと足を地に着けた政治を行うには、卓越した先見性とゆるぎない精神力が国政に携わる者に求められる。
 
よく国会議員がプライベートをたてにしてインタビューを拒む場面が見られる。
また私たち一般国民と同じような安息と慰安を国会議員が求めるのは当然だという空気がある。
 
本当にそれでいいのだろうか。
 
国会議員も私たち一般国民と同じ人間である。睡眠も慰安も必要なことはわかる。
 
しかし国運を委ねられた以上は睡眠や慰安などが削られたとしても国政に邁進するのが真の政治家ではないのか。
 
そういう政治家であれば、今自分に課されたことは何なのか、明確にわかるはずである。
 
そしてそういう政治家であれば、失言や妄言などとは無関係な資質を持っているはずである。
 
極寒の日も、酷暑の日も、ほとんど休むこと無く汗水流して働いた少ない賃金の中から納税する庶民の感覚からすれば、快適なエアコンの効いた国会会議室でお互いに相手方の質疑応答時間をつぶそうと一般論を長々と喋っている様子を見ていると、どこぞの国の国会討論かと思ってしまう。
 
 
昨日、平成28年度の税の申告用紙が郵送されてきた。
 
どうかこれ以上納税のモチベーションが下がるようなニュースが流れてこないようにと祈るばかりである。