この日の国会中継

いったい国会中継とは何のために、誰のためにあるのだろうか。
 
 
15日の衆院予算委員会国会中継をラジオで聞いていた。
ところが状況がよく飲み込めないのでテレビを点けてみた。
 
ちょうど民主党山尾志桜里委員が、高市早苗総務相が8日の衆院予算委員会で、電波停止に言及したことに関連した質問をしている最中であった。
 
山尾委員の質問に対して高市総務相が答弁していたが、それがあまりにも長たらしく、しかもまともに答えているとは思えなかったのである。
おそらく官僚が作った答弁書を、それも関連条文をそのまま書き写したものを読み上げているのだろう。
 
国会における時間稼ぎの答弁はこの国ではよくあることである。
ただ高市総務相の答弁にはそれ以上の何か殺気だったものが感じられた。
いうなれば女性同士の戦いといったものである。
答弁の内容はともかく、質問者と答弁者の火花を散らすような雰囲気は望むところである。国会はこうでなくちゃ。
 
高市総務相の答弁はおそらく3分いや4分以上も続いただろう。
 
点けたテレビの画面を見ると、だらだらと続く答弁を委員長は注意することも無く、それに対して野党の委員は委員長席に詰め寄って抗議している場面が映った。
 
おなじみの光景である。
 
こんな光景を何度も見る。
これだけならまだいい。
 
野党の質問を腕を組んで聞く閣僚。
腕を組むのは拒否の現れで失礼な態度というのを知っているのだろうか。
 
幼稚な質問だというようにニヤニヤしながら聞く閣僚がいる。
 
そして質問者の背後でヤジを飛ばす国会議員。
一度そのヤジだけを大きくして放送してもらいたい。ヤジを飛ばす国会議員はほぼ決まっていて、その顔はよく覚える。
小中高校の会議でもこんなヤジは飛ばさない。いやな奴は教室を出て行くだけだ。他の者に迷惑をかけない。
 
国会というものはこんなものだよ、としたり顔で言う者がいる。
 
ずっと前、京都で殺人事件があった。
刃物でひと刺しであった。
そのとき犯人は被害者に対し、こう叫んだという。
「これが世の中というもんじゃ」
それを耳に残して被害者は亡くなった。
 
「世の中とは、国会とは、こういうもんじゃ」
この言葉で理不尽な行為を納得させようとするこの日本はどういう国。
 
 
何年経っても進歩のない国会である。
 
国会中継をテレビでなく、ラジオで聞くのは少しでもいやな光景を見たくないから。
 
しかしこの日本から出て行こうとは思わない。
 
私はどの政党にも、どの宗教団体にも、どこの法人や団体にも属していない。
そういうものに属せば必ず「しがらみ」が生まれる
欲が出てくる。そのために恣意的な行動に走る。そして身動きが取れなくなる。
 
質素であっても今の生活を持続していければ、ほかに欲しいものはあまり無い。
 
公務員のみならず、国会議員も一種の公僕だと思う。
そうでなければ国会議員をやってはいけない。
名声や富みを望んでは国会議員はやれない。
 
1000余兆円の借金を背負っている日本である。
赤ちゃんからお年寄りまで国民1人あたり823万円の借金である。
いやそんなの借金じゃないよ、と言う人もいる。
そう、銀行に貯金している人、タンス預金している人、あるいは貸金庫に金塊などを保管している人たちが「どうぞこれで国の借金を返してくだせえ」とお上に申し述べれば、ね。
 
そんな国の国会がまともな審議もせずに、国会議員たちの優雅な時間やヤジの応酬に費やされたんじゃたまったもんじゃない。
 
 
以前の最後の投稿から3年半を経て、久しぶりにブログを開いた。
今日は真冬に逆戻りだが、もう冬眠はしない。
 
まだ国会中継は続いている。
 
でも辛子のようなぴりりとした質問がない。
ちょうちん持ちのような質問もあくびが出る。
 
 
この国のことについて、気づいたこと、思ったことをまた記してみようと思う。