奇策を弄してまで成立させた共謀罪は必ず後悔する日が来る
採決を強行したのである。
私はこの「共謀罪」の成立に言い知れぬ不気味さを感じる。
においを感じるからである。
奇しくも、今から57年前の6月15日は安保闘争で国会前のデモに参加した東大生ー樺美智子さんが警官隊と衝突して死亡した日である。
当時私はまだ10代の、世の中のことを何も知らぬ子供だった。ましてや政治のことなど宇宙の果てのことだと思っていた。
それでもデモで死亡したことがまれにみる大事件であったことは肌で感じた。
そのことと今回成立した共謀罪が全くの別物と思われないのである。
それは自由な思想を強引に弾圧するような、典型的な出来事のように思われるからである。
戦時中の旧満州で現地の警察官として働いていた父は、本来は共産主義運動を取り締まることを目的とした当時の治安維持法が、その対象を広げて反政府運動全般の取り締まりに使われているということを幾度となく体験して心に葛藤があったことを、晩年になっていつも口にしていた。
宮仕えという身分で上司の命令は絶対服従という環境の下、思想の自由までもが制限され、少しでも反政府的な言動と動きがあればその時点で日本人であろうと現地の人であろうと検挙されるということを幾度となく目にしたことが父の良心を蝕んでいった。
父の言葉を借りれば、治安維持法が施行された世の中の不気味さ、恐ろしさは例えようがないという。
「壁に耳あり、障子に目あり」の例えのように、常に監視の目があって、毎日の勤務は上司の顔色をうかがうばかりで楽しいことなど何も無い。
ただそういう毎日も日が経てば慣れてしまい、これが普通かと納得してしまったという。
自由とは何か?、平等とは何か?、民主主義とは何か?、そういう言葉は頭の中から消えてしまったという。