共謀罪成立に読売新聞朝刊コラムが報じたこと

 今朝(6月16日付け)の読売新聞朝刊コラム、「編集手帳」に次のようなことが載っていた。

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6月16日付 読売新聞 朝刊 より
 その編集手帳には15日に成立した「テロ等準備罪」を「刀」に例えてこう述べている。

 「切れ味の鈍い刀も困るが、ものには限度があって鋭すぎても困るだろう。『テロ等準備罪』は心の内面が罰せられるとも思わないし、息苦しい世の中になるとも思わない」と。

 「テロ等準備罪」についてはひとそれぞれにいろんな考えがあるだろう。
 ただこのコラムの中で「戦前の治安維持法を持ち出しての反対論には苦笑するばかり」と述べていることに疑問を感じた。

 私は前回投稿したブログで治安維持法を持ち出して、持論を展開した。
 苦笑の対象となる側である。

 恐らく編集手帳コラム氏は、治安維持法がどんなものであったか、どういうような使われ方をしたのか、実際に身をもってそれを体験されたか、あるいはよくご存知の上で書いたのだろう。

 一方の私は父の話の受け売りである。

 治安維持法を必必要とした所期の目的は共産主義運動を閉じ込めるためであったという。

 しかしながらその運動は予想したほどでなく、次第に一般国民の反政府運動を抑制するために徹底的に利用された。

 編集手帳コラム氏はさらに、成立した「テロ等準備罪」という「刀」が「お粗末」だと記している。

 「お粗末」なのは切れ味の悪い法案の中身なのか、「中間報告」という奇策を指してのことなのか、はたまた審議過程を指すのか、あるいは全部を指すのか不明である。

 金田法相の「お粗末」な国会答弁からわかるように、閣僚の登用を錐(きり)と槌(つち)に例えて、その使い分けを誤った安倍首相の反省をうながしていることから、成立までの審議も「お粗末」だったことを編集コラム氏は暗に感じていたと思われる。

 それでも編集コラム氏は、この「お粗末な法案」が成立したことを歓迎し、この法案成立に反対する運動には苦笑するという。

 その記述に「やっぱりな!読売新聞だもの」と納得してしまうのである。