加計学園なぜ面会否定のコメントを出したのか

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 加計学園が安倍首相と面会したことを否定するコメントを出したが、この意図を考えてみた。

 多くの真実に少しばかりの虚偽の出来事を混ぜて公表すると、詳細を知らない第三者にはすべてが真実と映ってしまう傾向がある。

 同じように逆の手法もあるわけだ。

 それはほぼ真実に近いと思われている事象の中に、いくらかのウソを混ぜてすべてを虚報っぽく見せるやり方である。

 そういえば自民党のある議員は愛媛県の新文書について、加計学園のコメントが発表される前に「それはまた聞きの、また聞きの、また聞きだ」と口にしていたことを思い出す。

 今回のように安倍首相との面会は無かったと否定した加計学園のコメントは、加計学園に関する他のいろんな疑惑も、ひょっとしたらフェイクではないかと国民に疑問を持たせることを意図したものかもしれない。

 でなければ、安倍首相は面会を否定しているのに加計学園がわざわざ身内の恥をさらけ出すようなコメントを出す必要はなかろう。

 それにコメントを発表するのが遅すぎるし、手順もでたらめである。

 愛媛県知事が指摘するように、加計学園はまず関係者に謝罪し、説明するのが普通、と語ったが当然であろう。


 加計学園の対応がかえって火に油を注ぐようになぜエスカレートしたのか。

 私は、ひとつは追い込まれた安倍首相サイドにその原因があると考える。

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 愛媛県が国会に提出した新文書にある通り、安倍首相と加計学園理事長が面会したことが事実であるなら、それは今までの安倍首相の国会答弁をそっくり覆すものであり、場合によっては安倍首相の法的責任をも問われる恐れがあるからであろう。

 逆に、加計学園がコメントした内容が事実であるならば、加計学園が一国の最高権力者である総理大臣の名を利用してウソの報告書を作成し、公的機関である愛媛県今治市に提出したということで、これらの行為は行政における重大な不祥事である。

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 時代が時代ならば、たとえば地方の豪商が豪華な店を造るときに、将軍の名を利用して「将軍様もいいじゃないかとおっしゃっている」などとウソの報告書を管轄の大名に提出したようなものである。

 おそらく豪商は打ち首獄門、豪華な店は即解体であろう。


 トランプ大統領がよく口にする言葉「どうなるか、様子を見てみよう」。

 今はそんな心境である。