官邸は面会が無かったことを証明する責任がある
2015年2月に官邸で安倍首相と加計学園の理事長が面会していたということについて、加計学園が26日、「当時の担当者が誤った情報を愛媛県と今治市に与えてしまったように思う」とコメントしたことを聞いて唖然とした。
加計学園はなぜ国会に新文書が提出されて5日も経った26日になってこのコメントを出したのか。
面会の記録が破棄されて官邸にも無い、新聞報道にも無い、面会の痕跡がどこにも無いということを確認したうえで、加計学園はウソの上塗りの形でこのコメントを出したようにも思える。
今回の件に加え、加計学園の犯した罪は計り知れないものがある。
安倍首相と加計理事長が官邸で面談したかどうか、人の記憶でしか把握できないということ自体不思議である。
官邸で面会した事実が無いということを客観的に証明するものは表向きに一言で言えばそれは入廷記録である。
しかし、入廷記録に残らないこともあるという。裏口入廷である。
これだと入廷記録も新聞の首相動向にも残らない。
そこで形の上では入廷記録を正式なものとする官邸では、記録にないものは入廷が無かったと判断する。
入廷記録など形だけのものである。
菅官房長官によれば、当時の入廷記録は破棄されたという。
それでは入廷記録は何のためにあるのか。
それは今回のようなことが起きたときに都合が良いからである。
しかし入廷記録は表向き正式な官邸の訪問記録である。
ならば、その入廷記録を破棄したというのであれば、面会が無かったことを国民が納得できる別の方法で官邸が行う必要があるのは当然のことだ。
「関わりの無いこと」を証明するのは「悪魔の証明」だと安倍首相はよく口にする。
その犯罪に無関係だと証明するひとつに現場不在証明(アリバイ)がある。
アリバイは「悪魔の証明」だろうか。
その日、安倍首相と加計理事長が面談したという2015年2月25日に、安倍首相はどこで何をしていたか。
これらのことに関して、安倍首相が語った内容に気になる言葉がある。
「その日は会っていません」
その日(2月25日)に会っていなければいつ会ったのか。
疑いをかけられた者が理路整然とした客観的な証明をしなければ、いつまでたっても疑いは晴れない。