東名高速あおり運転で懲役18年は軽すぎる

懲役18年は軽すぎる

 昨年6月、東名高速道路で「あおり運転」を行い一家4人を死傷させた男に対し、12月15日に横浜地裁で行われた裁判員裁判の判決で「危険運転致死傷罪」を認めて懲役18年の刑が言い渡された。

 思うに、この「懲役18年」という判決は軽すぎる。

 最初のあおり運転から高速道路上で被害者を車外に引きずり出そうとしたことを一連の行為として「危険運転致死傷罪」を適用したことは評価するが、検察が求めた懲役23年を5年も下回る「懲役18年」はどういう根拠で算出されたのか、理解に苦しむ。


私が受けた「あおり運転」のこと

 私自身も今までに高速道路上であおり運転と思われる行為を受けた経験が何度かある。

 今ではそれほど長距離運転をすることは無いが、20年ほど前は一年に2万キロを超えて高速道路を走行したことが何度もあった。

 その際に経験したことは今でも鮮明に覚えている。

 車間距離を詰められたり、走行車線と追い越し車線の両方を同一グループと思われる車によって前方をふさがれたこともある。


 ある時、鹿児島の指宿を車で訪れての帰路に、九州自動車道を門司方面に向かっていた時のことである。

 門司ICを過ぎて3本の車線の中央を走っていたが、私の車と並ぶように右側の追い越し車線を走る高級乗用車が気になっていた。

 その車は小倉東ICから入ってきたようである。

 高級乗用車は私の車を追い越すわけでもなく、長い間私の車と並走しているのである。

 高速道路は混んでいるわけでもなく、私の車とその乗用車のほかはずっと後方にトラックが走っていただけで、正直ガラガラの状態である。

 その時、私の車は時速100km前後で走行していたと思う。

 門司港ICの手前の大久保トンネルにさしかかる直前、突然その乗用車は中央車線を走る私の車の前方に車線変更してきたのである。

 車線変更の合図も無しである。

 その時の私の車と乗用車の車間距離はおよそ2m弱だと思われた。

 私はとっさにハンドルを左に切り、追突を避けようとした。

 時速100kmで走行しているときである。

 急ハンドルがどのような結果を招くか、十分予想できた。

 私の車はかなり右に傾いた。

 このままでは横転すると思い、今度はハンドルを軽く右に切った。

 今度は車が左に少し傾いた。

 この繰り返しが4,5回続いた。

 私の車が時速100kmで高速道路上で左に、右に蛇行したのである。

 幸か不幸か、車が横転することは無かった。

 ようやく車をコントロールできるような状態になって、私は一番左の車線に車を移動し、時速60kmほどで走った。

 先ほどの乗用車はそれを見届けたかのようにしてスピードを上げて視界から消えた。

 ハンドルを握りながらも心臓がパクパクしているのがわかった。

 この状態では運転できないと思い、和布刈トンネルをぬけて、もよりの「めかりPA」に入った。

 めかりPAに車を停め、先ほどの事を考えた。

 この時は「あおり運転」という言葉はまだ一般的でななかったと思うし、私も知らなかった。

 あの高級乗用車は一体どのような意図で私の車と並走し、なぜ急に前方に割り込んできたのだろうか。

 私の運転に何かまずい点があったのだろうか。

 いくら考えてもわからなかった。


あおり運転をする者の性格

 しかし、今は明白に言うことが出来る。

 あの高級乗用車は「あおり運転」をやったのだ。

 私が乗っていた車は当時流行していた4WDのクロカンだったのである。

 あの乗用車の運転手は、クロカンに羨望を抱き、変な形でそれが憎しみ変わったのかもしれない。

 車を運転すると性格が変わる人がいるというのはよく聞く。

 今回の東名高速あおり運転の男が、今回だけでなく、過去にも、そしてこの事故の直後にも同じようなあおり行為をしたことが報告されている。

 これはもう病的としか言いようがない。

 もし刑を終えて出所したとき、また同じようなことを繰り返さないとは言い切れまい。

 このような人間に免許を与えることはもちろん、車を運転するという機会を与えてはならない。

 こういうことを言うと人権問題だとか何かと声を上げる識者もいるだろう。

 しかし被害者の身になってほしい。

 悪いことを指摘したら、それを根に持って二人の命を奪うような行為と男の人権問題をどこで折り合わせるのか。



 懲役18年などのおざなりな刑ではなく、もっと重い刑と、今後一生涯車の運転をするのことの無いような罰を与えないと、自業自得の事故ならともかく、さらに他人を巻き込んだ事件を犯すかもしれない。

 一部の識者は、今回の東名高速あおり事件に「危険運転致死傷罪」を適用するのは無理があると言っているが、そんなことはない。

 運転中というのは、物理的に車が走っている状態だけを指すのではない。

 そうであれば赤信号で車が停車しているときは運転中ではないのか、そうではあるまい。

 高速道路上で車を停めた場合、それは運転中とみなすことはできるだろう。

 男が犯したそれぞれの行為をそれぞれ分断して単独に取り上げ、個々にこれは違法、あれは適法と論じることが正しいとは思われない。

 そしてさらに言えば、被害者の感情あるいは社会の反応を考慮することがいかにも「仇討ち」のような性格を帯びているかの如く批判する一部の識者の意見にも異論を唱えたい。

 裁判員裁判を導入した大きな理由は、国民感情を考慮したものを裁判に取り入れることが目的ではなかったのか。

 もし厳格に法に当てはめて刑を決めるのであれば、判決を感情のないAIに任せたらいい。

 時間も経費も大きく節約できるだろう。


東名高速あおり運転」は事故ではなく事件

 今回の東名高速あおり事件、一連の行為を指して「危険運転致死傷」罪を適用した今回の横浜地裁の判断は正解と思う。

 そして「東名高速あおり運転」は決して事故ではなく、事件であることを言いたい。

 先に述べたように、私があおり運転を受けて以来、世の中にはいくら自分が気を付けて運転しても、どういう人間がハンドルを握っているかわからぬ相手側から被害がもたらされることもある、ということをしっかりと肝に銘じたのである。

 20年ほど前までは私も車で年間2万キロを走行していた。

 今は自重してそれほど運転しない。

 車の運転は上手か下手かの競争ではない。
 車が運転手の品格を高めるとは限らない。
 車を離れれば同じ生身の人間である。

 そういう私の運転免許証は今もゴールドである。