沖縄県民投票結果を完全無視する政府、これでも民主国家か?

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 24日に行われた沖縄・辺野古埋め立ての賛否を問う沖縄県民投開票の結果、埋め立てに「反対」が72.2%となった。

 さらにこの県民投票の有効性の物差しの目安としていた投票率が50%を超えて52.48%だったことは先の反対票72.2%の結果と併せ、強引に埋立てを推し進める政府に対する強力なメッセージとなった。

 この結果を受けて安倍首相は「真摯に受け止める」と語ったが同時に「もうこれ以上、先送りすることはできない」とも語った。

 このように政府は辺野古の埋め立てを進める姿勢を崩していない。

 この県民投票に法的拘束力はないということを以て、政府や与党の一部にはこの結果を完全無視しようと動きがあるが、これは民主国家に逆行した行為そのものであろう。

 たとえ普天間基地の負担を無くすという大義があるとしても、その同じ沖縄県に別の米軍基地ができるのである。

 普天間の負担が無くなっても沖縄の負担には変わりがないのである。

 もし辺野古に新基地ができたならば、その周辺では普天間基地がこれまで抱えてきた同じような問題が生じることは十分考えられる。


 世界情勢の変化と最新の防衛機器の開発で、防衛のために沖縄に米軍基地が必要とされてきた理由はいまや過去のものとなった。

 つまり最新鋭の防衛機器は、紛争地域と防衛基地が必ずしも近接している必要はないのである。


 世界には話の分かる国ばかりでないことも確かである。

 比較的治安が良いとされる日本でも各家庭は夜になると玄関に鍵をかけ、防犯カメラなどを付けたりする。

 それと同じように国の防衛のための装備は最低限必要であろう。

 しかし、相手国の理不尽な不意の侵攻に備えるために、あるいは威嚇のために強力な武力を相手に見せつけるということを目的に沖縄に米軍基地を設けることを理由とするのなら、それは古びた思想である。

 現在の日本の防衛力であるならば、何も沖縄に米軍基地を設ける必要はない、と思うのである。

 もし現在の日本の防衛力で抑止できない事変が起きたとしたら、それはたとえ沖縄に米軍基地があったとしても、むしろ米軍基地があるために紛争はより拡大し、より複雑にさせることにもなろう。

 最悪の場合、再び世界を戦争に、それも核兵器を使用するようなことに巻き込むことにもなりかねない。

 現在は国境間で小競り合いの紛争はあるかもしれないが、その紛争に日本の自衛隊とともに米軍が介在するようなことにでもなれば、局地的な紛争で終わらないことは明白である。

 裏返して言えば、沖縄に米軍基地を設けて用心棒のように周辺に睨みを利かしてもらうとう発想自体がすでに時代遅れである。

 日本の周辺諸国に対して、米軍に睨みを利かしてもらうのなら沖縄でなくてもグアムやハワイでもその効果に変わりはないのである。


 今まで沖縄に米軍基地を置くことによってある程度日本列島の平和が維持されてきたことは否定しない。

 しかし、米軍基地が存在したために沖縄の人たちが今までに被った多くの犠牲を沖縄県外に住む人たちがどれほど思いやってきただろうか。

 わが町わが村に米軍基地が来なければ我関せず、という姿勢をこの際改めねば、将来わが町わが村に同じような事が起きたときにはすでに時遅し、なのである。


 今こそ沖縄県民投票の結果を政府や国民は尊重しているということを具体的な行動で示すことが民主国家として求められているのではないか、と思うのである。