「月例文学」的表現の政府の景気下方修正?


 3月20日、政府は3月の月例経済報告を公表し、全体の景気の判断を「穏やかに回復している」に「このところ輸出や生産の一部に弱さもみられる」という表現を冒頭に付け加えた。

 2016年3月からの「穏やかに回復している」景気判断をようやくほんの少し下方修正したものである。

 7日に内閣府が1月の景気動向指数の速報値が2.7ポイント低くなり、3か月連続で低下したと発表していたが、記者会見で菅官房長官は「景気は緩やかに回復している」という認識に変わりはないと述べていた。

 今回の月例経済報告は、7日の内閣府発表に多少追従したものとなった。

 それでも「景気は緩やかに回復している」文言は今回もしっかりと付け加えられているのである。

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アベノミクス下でも生活保護世帯は増えた
(2019年2月25日 衆議院予算委員会 TVインターネット中継より)

 アベノミクスの下では、たとえ何があっても政府は「景気が後退」した、あるいはそのようなことを予見させる表現は使いたくないようである。

 このような政府や官公庁などのあいまいな表現をした文章を「月例文学」というらしい。

 この「月例文学」の表現に厳格な基準はなく、「月例文学」で表現されたものはその意味するところを理解することは容易でなく、多くが読み手の判断に任されることが多い。

 たとえば政府が景気の状況について公表しても、その微妙な文章の表現から内容に矛盾があったとしてもそれに気づくことはなかなか難しい。

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安倍政権下でも実質賃金は下がっている
(2019年2月25日 衆議院予算委員会 TVインターネット中継より)

 景気が良くなっているのか、それとも悪くなっているのか、「月例文学」的な文章で発表されると、どちらともとれるような曖昧なものになる。

 それは結果として、国民の中には自分たちに都合の良い解釈をし、判断を誤る場合もあるだろう。

 そのことは政府もわかっていて、今回の月例経済報告も最後に「景気は緩やかに回復している」とわざわざ付け加えているのである。

 このことによって政府にとってはネガティブな最初の文章より、最後に付け加えた文章の方が受け取る側に強く残るのである。

 ああ、景気はゆっくりだけど回復してるんだ、と・・・。

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紅梅白梅、あいまいな咲き方はしない

 今回の月例経済報告の発表では「昨年後半からの中国経済の減速の影響」と「景気下方」にした理由を具体的に述べているが、そのような状況下でも「景気は緩やかに回復している」という裏付けになるような具体的なことには一切触れていない。

 政府が発表する「月例文学」的な表現には、その内容は必ずしも実態を表していないことに留意すべきであろう。

 アベノミクスで放たれたという3本の矢は一体どこへ向かったのだろうか。