東京五輪会場は形を変えた治外法権の場なのか!

 この頃のテレビはどのチャンネルを回しても東京五輪の競技の映像ばかりが目に飛び込んでくる。


 五輪関係以外の重要なニュースを見たくて、いつものニュース時間帯にチャンネルを合わせても五輪競技の映像しか飛び込んで来ない。

 新聞のテレビラジオ欄には早朝から深夜の時間帯まで五輪関係の文字が躍っている。

 

 今から約半世紀前の1964年に開催されたアジア初のオリンピック・東京大会もテレビ中継されたようだが、開会式を含め各競技の中継を私はほとんど観ていない。
 なぜならこのオリンピック開催に合わせてちょうど学校が休講となり、この休みを利用して百数十キロ離れた友人の学生寮まで自転車旅行をしていたからである。

 

 この1964年の東京大会でも、開会式であのブルーインパルスが10月10日の真っ青な空に五輪を描いた映像を後日録画で見たが、その見事な五輪の輪は今でも鮮明に覚えている。

 

 もし新型コロナのことが無かったら、今回の東京五輪に私は57年前の時と同じような感動を直接味わいたくて連日テレビにむしゃぶりついていたことだろう。

 しかし、今回はそういう心境にならなかった。


 なぜか。

 

 東京五輪の開会式が済んで各競技が始まったとたんに新型コロナの感染者数が爆発的に増えてきた。

 

 東京五輪と感染者の増大との間に因果関係がないなどと政府や大会関係者は否定をしているが、感染爆発の様々な要因が五輪開催にあることは間違いないだろう。

 そしてそれは五輪開催によってもたらされた国民の気の緩みである。

 

 ロックダウンという強い規制が出来なければ、国民に気の緩みをもたらす恐れのある五輪開催は中止すべきだったのではないか。

 

 感染予防のため三密回避などと言われているが、この東京五輪が始まっていろいろな競技の場面で、とてもソーシャル・ディスタンスを保っているとは思われない観客や関係者が大きな声を互いに発している場面、競技を終えたアスリートたちがコーチなどとハグしあっている場面などを目にすると、政府の言う三密回避とは一体何だろう、と思ってしまう。

 

 政府や行政は我々国民にいろいろな自粛を要請しておきながら、東京五輪という名を冠する場ではこのありさまだ。

 

 大会組織委員会は新型コロナ対策に「バブル方式」を取り入れているというがこの「バブル」、実はプレーブックに記された自粛要請などの規則などから逃れるための「バブル」のようである。

 

 「五輪」と言えば何でも許されてしまう。
 
 東京五輪会場は形を変えた一種の治外法権の場のように思えてならないのだ。