東京五輪、開会式直前になっても受け入れることができない
今でも日本国民の半数以上が中止あるいは延期を望んでいた東京五輪は、政府・東京都そして大会組織委員会などから中止や延期の声があがることも無く、いよいよ今日開幕する。
今日に至るまでこの東京五輪については色々な出来事があった。
(2021年7月21日 BS-TBS「報道1930」より)
とどめは、開閉会式のクリエーティブチーム「ショーディレクター」の小林健太郎氏が、過去にユダヤ人大虐殺をあざけることをしたという理由で開会式直前の昨日解任された。
今年になってからは3月に演出総合統括の佐々木 宏氏、そして今月19日には小山田 圭吾氏が辞任している。
この東京五輪、なぜこれほどまでに問題やトラブルが多いのか。
新型コロナのパンデミックは誰もが予想もつかなかったことではあるが、そのために今この東京五輪開催の周辺で起きている様々な出来事がまるで呪われた催事のようにも思われてしまうのである。
そんな中で私が今でも奇異に思うのは、2019年に新しい国立競技場ができた時に観客席が白、黄緑、グレー、深緑、濃茶のまだら模様になったことである。
このまだら模様の目的は以前このブログでも記したが「空席を目立たないようにする」ためである(https://gnokarakuchi.hatenablog.com/entry/2019/12/23/131942)。
まさかとは思うが、このまだら模様の観客席は新型コロナ感染予防のために無観客とすることをあらかじめ予想してまだら模様にした、そのように思えてならないのだ。
この先、東京五輪・パラリンピックは途中で取り止めることなく、無事閉会式を迎えることができるのか。
今となっては、閉会後の日本における新型コロナ感染予防や経済の立て直しに強行開催した東京五輪の影響が幸となるか、はたまたその逆となるか、私たちは検証していかなければなるまい。
そしてその結果を、新型コロナのようなパンデミックが起きた際の世界的催事(たとえばオリンピックなど)の開催がどうあるべきかに役立てなければ東京五輪の開催の意味はない。
今まで以上に新型コロナ感染の拡大が予想されるなかで強行開催される東京五輪をどのように受け入れて良いのか、開会式直前になっても私はわからないのである。