「東京五輪、マラソン・競歩は札幌で」IOCが決定!
久しぶりの投稿である。
開会中の国会は相変わらずで、全体的にマンネリ化感がある。
そして台風19号は惨状が明らかになるにつれ、気持ちが沈む。
そんな中で飛び込んできたのが東京五輪マラソン・競歩の札幌開催というIOC案の驚くべきニュース。
17日の初期の段階ではまだIOCの提案であったがその後、決定になった。
(2019年10月18日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)
17日放送のテレビ朝日「羽鳥モーニングショー」がこれを取り上げていたが、この中でコメンテーターの玉川徹氏が「どうしてこんな事態になったのか」その問題の原点について説明していた。
(2019年10月17日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)
それによれば、東京五輪の会期が猛暑の7月末~8月初旬に決まった原因は、2013年の招致委員会の時の立候補ファイルに『(東京の)この時季の天候は晴れる日が多く、かつ温暖である。アスリートが最高のパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である』と書かれていて東京に招致したことにある、と玉川氏は言う。
なぜ猛暑のこの時期に東京五輪が開催されるのか、私も不思議に思っていた。
日本の夏がアスリートにとって危険な気候だということは、かつて酷暑の日本で男子マラソン競技に参加したジブチのサラ選手は「東京の暑さはアフリカの砂漠よりひどかった」と言い、また男子50㎞競歩のドイツのガウダー選手は「東京の湿気は1100万人の東京の皆さんと一緒にサウナに入ったようだ」と言っている。
(2019年10月18日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)
4月や5月の薫風かおる時期、あるいは紅葉美しい10月や11月が開催時期になぜ選ばれなかったのか。
1964年の東京オリンピックは10月10日から24日まで開催された。
開会式の時、国立競技場の上空は抜けるような青空で、ブルーインパルスの五色の五輪の輪が描かれた場面を思い出す。
暑くもなく、寒くもなく、それ以後この日は体を動かすのに最適だということで10月10日は「体育の日」にも制定された。
このように素晴らしい気候をもたらす春先や秋の時期を外して、なぜ酷暑の夏に2020年の東京五輪を開催することが決まったのか。
放映権料の思惑なども絡んでIOCが求める五輪の開催条件が7月中旬から8月とあったこともあるが、日本の招致委員会が上記のような「温暖な」という言葉を記したことも大きく影響しているだろう。
玉川氏はこのことについて「(日本の招致委員会は招致を確実にしたいがために)ある意味ウソをついたことになる」と語っている。
一度でも日本の夏を経験した外国人であれば、高温・高湿度の日本の夏がアスリートにとってどんなに危険なものかを知ることができるが、残念ながらIOCのお偉方の多くが日本の招致委員会が記した「温暖」という言葉に騙されていたようである。
先月ドーハで行われた世界陸上で選手68人中、実に28人が体調不良などで棄権したことを受けて、高温高湿度の中での競技がどれほど危険なものか、IOCのお偉方がそれを真剣に受け止めたことが今回の札幌マラソンを決定した理由であろう。
(2019年10月17日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)
東京五輪開催までおよそ10か月。
この時期に東京五輪開催云々の是非を口にすると当然のごとく「いまさら何を」という言葉が返ってくる。
開催を前提にして意見を言うのならともかく、開催そのものの是非の言葉は禁句なのである。
だからそれに類する言葉も批判される。
「振り返るな、今は先を見ろ」と。
しかし、将来同じようなことを起こさないためには「なぜこのような事態になったのか」、その原因を突き止めねばならないのは当然だろう。
そうでないと対策も予防もできない。
その点で玉川氏が今回の原因について言及したのは、たとえ「過ぎ去ったことを振り返るな」という批判を浴びたとしても私はまともなことだと思う。
現在の日本は、何か問題が起きた時に過去を振り返ることは消極的、非生産的だとして非難される。
政治の世界でも同じこと。
不祥事が起きると、過去は過ぎ去ったものとしてなかなかそこにメスを入れようとしない。
結果、原因が何であるかも明らかにできず、うやむやに終わってしまう。
そしてまた同じような問題が起きる。
IOC調整委員会のコーツ委員長はこう言っている。
「我々は東京五輪が棄権者が続出した大会として記憶に残ってほしくない」。
(2019年10月18日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)
私は思う。
酷暑の東京五輪で、棄権者どころか選手生命を終えらざるを得なくなるような事態にならないことを切に願う。