組織委員会から「森喜朗」の名が消えない限り、東京五輪は批判に晒されるだろう
森会長の女性蔑視発言に対する批判が止まないどころか、日が経つにつれて大きくなってきている。
先日、IOCはそれまでの姿勢を一転して「森会長の発言は不適切」との声明を出した。
IOCのこの豹変にも驚いたが、東京五輪組織委員会はもちろんIOCがいかに世相に疎いかを見せつけた。
2月17日にIOCとの4者会談を設けることになったが、この会談に小池都知事は欠席するという。
小池東京都知事は欠席するというIOC4者会談
(2021年月11日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」より)
小池都知事はこの会談の意義に疑問を持ったからだという。
それにしても今回の森会長の発言に対して組織委員会や関係閣僚の、まるで腫物にも触るような発言しか聞かれないのはどうしてだろう。
これらの人たちの意見を聞いて違和感を持ったのは、森会長に対して「ご発言」とか「ご辞退」といった敬語を盛んに使っていることである。
たとえ組織のトップに対するものだとしてもそこまで敬語を使うものだろうか、異常である。
このような過度な権威主義が森会長の女性蔑視発言を生み出し、他の人が沈黙せざるを得なかったように思える。
世界各国と比べて、日本の五輪組織委員会が前近代的な「ムラ社会」と言われる所以である。
森会長は当初辞任の意向を示したが、周囲の者から辞任を止められたという。
なぜか?
もしこれが事実なら、周囲の者が止めた理由はただ一つ。それはコロナ禍でそれも収束の見通しもなく、そして差別発言で世界から批判されている中で開催する五輪組織員会の会長という「貧乏くじは引きたくない」ということが本音だろう。
組織委員会や国内の五輪関係者は批判はしても辞任の声がないのは、コロナ化や差別発言の混乱化の下での五輪開催は、このまま森会長にやっていただくのがいいだろうと、つまりそういうことだ。
もしコロナ禍もなく、東京五輪の延期も無かったとして今回のような森会長の差別発言が起きたとしたら、会長交代はスムーズに行えたかもしれない。
いずれにしてもこの組織委員会の前近代的な「ムラ社会」、どうにかせねばなるまい。
いや、組織委員会だけに限らない。
国会の「ムラ社会」にも改革の目を向ける必要があろう。