あぁ、好きな番組が終わってしまう~

 3月という年度末はいろんな分野で衣替えの準備をする月である。
 テレビ番組もまた同じである。

 

 関西のローカル番組として始まったMBSテレビの「ちちんぷいぷい」が21年間の歴史を閉じてしまうことをはっきり知ったのはつい先月。

 

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  「ちちんぷいぷい」の番組終了1分前、そしてスタジオ内は誰もいなくなった

        (2021年3月12日 MBSテレビ「ちちんぷいぷい」より)

 

 この番組が始まった当初、「ちちんぷいぷい」とはまた変な名を付けたものだと思ったものだ。

 

 最初は、ちょっとふざけたような、それでいて何か妙に気になる語感だなと思っていたのだが、実はこの「ちちんぷいぷい」という言葉は幼児が体をぶつけたりして痛がっているときに母親が「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの、飛んでけ!」と言って幼児をなだめるために使った言葉だそうだ。

 

 その「ちちんぷいぷい」の意味は「ちちんぷいぷい御代(ごよ)の御宝(おんたから)」だという、痛がる幼児を撫でてさすってなだめるまじないの言葉だそうである。


 そうか、「御代(ごよ)の御宝(おんたから)」という言葉だけは幼い時から親に聞かされていた。

 

 このことを知ってからますますテレビの「ちちんぷいぷい」に興味が湧いてきたことも確かだった。

 

 当初、番組のMCを務めた角淳一氏のゆったりとした口調と番組進行はとても心を癒してくれたものである。


 そして西靖アナウンサー、山本浩之(ヤマヒロ)氏、山中真アナウンサー、河田直也アナウンサーと次々代わっていったのも懐かしい思い出である。

 

 その日の午後になって、この「ちちんぷいぷい」は気軽にテレビのスイッチをひねって観ることができる番組の一つであったことは間違いない。

 

 なかでも河田アナが世界を一周した「リアル世界くん」やロザンの「道案内しよッ」、そして楠雄二朗(以下くっすん)と河田アナが先人の足跡をたどる「昔の人は偉かった」というコーナーはうっかり見逃してしまうとその日はスッキリしなかったことも確か。

 

 特に「昔の人は偉かった」コーナーで河田アナとくっすんが「東海道53次の旅」で現地の人と触れ合って歩きながら京都の三条大橋を目指す旅番組であるが、つい自分もやってみたくなるほど私を虜にした。

 

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    「河」と「く」が書かれた三度笠をかぶって二人は東海道53次を歩いた

        (2021年3月12日 MBSテレビ「ちちんぷいぷい」より)

 

 昨日(12日)にはその最終目的地点の京都三条大橋に到着し、感極まってくっすんが泣き崩れた姿に不覚にも私は涙ぐんでしまった。

 

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      最終ゴールの京都三条大橋の川べりで感極まるくっすん
        (2021年3月12日 MBSテレビ「ちちんぷいぷい」より)

 

 21年半も続いたこの「ちちんぷいぷい」が終了するのも逆らえない時の流れ、と言ってしまえばそうだろう。


 しかし・・・


 最終回の「ちちんぷいぷい」番組を観ていて不覚にも涙を流したのは、21年もの間この番組が私の痛い所を撫でてさすってなだめてくれたのだと察したからかもしれない。

 

 そしてさらに、この番組の終了を自分の人生になぞらえて考えていたのかもしれない、と今思うのである。