東京五輪開催は日本の国力を削いでしまうかもしれない
英国で開催されていたG7サミットで、菅首相は「東京五輪・パラリンピック開催に各国の力強い支持をいただいた」と述べたが、これは一種の外交辞令であろう。
なぜならば、このパンデミック下でどこの国が積極的に自国の五輪開催を推し進めるだろうか?
多くの国は、五輪開催中止で多大の損害を出すことになったとしても先ず自国民の健康を守る新型コロナ感染予防対策を最優先にするだろう。
なによりも自国民を守ること、それが国力を保つ大原則である。
たとえG7が東京五輪開催の支持を表明したとしても、開催中あるいは開催後に日本で感染拡大が起きる、あるいは東京株という変異ウイルスが誕生してそれを外国の参加選手が持ち帰り、母国であらたな感染爆発が起きるかもしれないのだ。
相手が人間ならばまだしも、ウイルスという脅しも通じない、そして忖度もしない新型コロナの怖さを我々は軽視しすぎである。
このごろ東京五輪開催の是非を問う環境は厳しくなっている。
そして時間の経過とともに開催反対の声は次第に外堀を埋められているような気がする。
この頃のメディアも微妙なトーンで開催を容認するような伝え方をしてきている。
米パシフィック大教授で政治学者のジュールズ・ボイコフ氏は13日、「(開催国の)今の状況は経験がない」「東京五輪中止決定のリミットは6月末である」と言っている。
同氏は東京五輪を中止するかどうかの決定権はIOCにあるとし、「IOCの〝黒幕〟によると、中止の決定は6月末までになされる必要がある。そうなると日本の人々が五輪反対の意見を公にできるのは、あと2週間と少ししかない」とも言っている。
北野たけしは13日の民放テレビで、東京五輪の強行開催に突き進む政府に対して「(戦争)晩年の日本兵みたいなもの。負けるとわかっていて戦争を続けているようなもんじゃないか」と言っている。
私は以前のブログに東京五輪の強行開催に突っ走る政府は「戦時中の大本営と同じ思想」だと書いたことがある。
東京五輪の開催をしても、すぐさまその影響は出ないかもしれない。
しかし東京五輪・パラリンピックが平穏に終わったとしても、その後は安心できないだろう。
なぜなら変異型の新型コロナの感染爆発がいつ起きるかもしれないということ、そしてもうひとつ深刻な影響として考えなければいけないことがあるからだ。
それは東京五輪の強行開催で日本の国力が大きく削がれることである。
新型コロナが収束しなければ、それはより一層大きいだろう。
ここ十年間の日本の国力は弱まってきているように感じる。
日本に関する最近のいろいろなデータを見てみるがいい、日本はもはや先進国の体をなしていない。
後進国の一歩手前に位置するところまで来ているようにも思える。
今は戦後昭和時代に築きあげた有形無形の豊かな資産をただ食いつぶしているだけで、表面的には裕福さを保っているように見えるが実態は悲惨だ。
メディアもその所は余り深く追求しない。
今や先進国から転落しかけている日本は、今夏の東京五輪開催で一挙に奈落の底まで落ち込んでしまう恐れがある。
五輪開催で目論んでいた開催地の経済効果は失われてしまった。
代わりに国内と五輪関係の新型コロナ感染対策の費用が大きく膨らんできた。
そして緊急事態宣言による観光地の旅行客減、消費の減少とともに中小企業の倒産など、日本経済を支えてきた一角が崩れ始めてきている。
国力の衰退、それを狙っている国があることも知ってほしい。
それらの国は東京五輪開催を促して、日本の国力を削ごうとしているのかもしれないのだ。
ひと時の安楽(東京五輪開催)を欲して心身を癒すことを否定はしない。新型コロナのパンデミックでなければ。
しかし、今がその時か。
東京五輪開催、その対応を間違えると取り返しのつかない事態が待ち受けているかもしれないことを考えるべきだろう。