火中の栗を拾うのは誰?

  自民党総裁選は土壇場になって出馬表明した野田聖子幹事長代行によって、河野氏陣営のそれまでの目算に狂いが生じたと報じられている。

 おそらくこれは党員投票で人気のある河野氏に多くの票が流れることを阻止するためであろうことは間違いない。


 もし野田氏の出馬で票が分裂して決選投票になれば、議員票に強いといわれる安倍・麻生陣営は従来の路線を継承する岸田氏が選出される筋書き通りの展開を描いていることだろう。

 そういう目的のために担ぎ出された野田氏はどのような心境なのだろうか。


 そのような意味では票を分散させる目的で安倍氏が支持している前総務大臣高市早苗の出馬の役割もほぼ同じであろう。

 

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               初秋の奥入瀬

 

 前回のブログで私は、自民党新総裁は「火中の栗を拾う政治家」を望んでいると記した。

 これを投稿した時点では「自分の利益を顧みず他人のために危険を冒す政治家」と言う意味で使ったのだったが、大事な事を失念していた。

 

 それは、ラ・フォンテーヌの寓話にあるこのことわざを調べればわかることだが、本当は「サルにおだてられた猫がイロリの中の栗を拾って大やけどした」というのが起源である。

 それが今では「他人のために危険を冒すたとえ」として多く使われる。

 

 自民党新総裁選に岸田・河野・高市・野田氏が立候補を表明したが、このことに絡んで上記のラ・フォンテーヌの寓話が何度も頭に浮かんでくる。

 

 そして思う。


 はたして自民党新総裁選で周囲におだてられて立候補した人はいなかったのかな?、大やけどはしないだろうな、と。