山陽新幹線の車両破損事故は大事故の恐れがあったのでは

 14日、博多駅を出発したJR山陽新幹線の車両が、小倉駅の手前の石坂トンネル西側で人を撥ね、先頭車両が破損した状態で新下関駅で運行中止をするまで、25分間も走り続けたということを知って背すじが凍る思いだった。

 最近の新幹線の先頭車両の形状(いわゆるノーズ)は空気抵抗をできるだけ少なくした流線型の形状になっているのだが、ニュース画面で見る該当車両のノーズの破損状態はひどいものだ。

 よくこのような状態で新下関まで無事走行したものだと驚いてしまう。

 この状態で300㎞近い速度で走行した場合、風圧でノーズを覆う一部破損した外板はさらに剥がれるか、最悪の場合先頭車両が浮き上がって脱線する恐れもあったのだ。

 トンネルの中ではなおさら風圧は高まり、もし外板が剥がれたならば、狭いトンネルの中でそれは砕け散って列車の窓を打ち破っていたかもしれない。

 幸い、石坂トンネルを通過したときは何事もなかったようだが、もし長さ18.7㎞の新関門トンネル内で外板が剥がれて飛び散ったり、脱線が起きていたならばどんなことになっていたか。

 JR西日本の記者会見では、今回の事故の重大さをさらりとスルーしたが、未曽有の大事故を起こす恐れもあったのだ。

 考えるだけでも恐ろしい。

 この破損した700系の先頭車両は500系よりも先頭の長さ、いわゆるノーズを短くしたエアロストリームという形状だが、これは従来の500系などと比べるとノーズの長さが1.5mほど短い。

 そのため運転手にはその破損状態がなおさら確認し難かったということはあるかもしれない。

 しかし、ドンという異音を聞いたときになぜ停車して確認する措置をとらなかったのだろうか。

 昨年12月に新幹線の台車に亀裂が入り、異音に気づきながら3時間も走行して問題になったばかりである。

 その際の教訓が全く生かされていない。

 さらに事故を起こした後に小倉駅で停車した時に、ホームの駅員は先頭車両のノーズ部分が破損し、血のりが流れていたことにただ事ではないと危機感を抱かなかったのが不思議でならない。

 会社のトップがどんなに安全安心を唱えても、もしそれが世間に対する形ばかりのものであれば決して社員の心に響かないだろう。

 その時だけの形ばかりの熱弁、形ばかりの決意、形ばかりの謝罪が満載の今の社会。

 政治でも企業でも、上に立つ人は常日頃から人の心を揺り動かすような、模範となるような行いをするということが今の日本に求められているのではないか、と思う。