緊急事態宣言下の安倍首相の取り組み姿勢に疑問

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         11日の新型コロナウイルス感染症対策本部にて

          (2020年4月11日 読売テレビ「Nevery.」より)

 

 上の写真は安倍首相が首相官邸で昨日(11日)開かれた新型コロナウイルス感染症対策本部で、会社などへの出勤者を最低7割削減するよう関係省庁へ指示したときの模様である。

 

 この写真を載せた本当の理由を今日は書かない。
 それは次回にする。

 

 安倍首相が官邸で開くいろいろな会合での冒頭で、閣僚や官僚を前にして施策の方針やその背景を長々と語る様子をテレビ映像で目にすることは今や当たり前になった。

 

 政治の世界でも企業でも、そのトップが口にするのは要点だけでいい。

 それに付随するもろもろの項は担当の専門者が説明すればいい、というのが私の考えである。

 

 しかし安倍首相の演説や談話はいつも冗長すぎるために、逆に政策の目的や意図が薄れてしまい、ただ単に衆目を集めることだけに腐心しているようにもみえる。

 この日(11日)も同じであった。

 

 今までの歴代総理大臣の中で安倍首相ほど、これほど頻繁に官邸の会議の冒頭の様子がテレビ映像で流れることはなかったような気がする。

 

 なぜだろうか。

 

 こういう緊急事態宣言下で国民の協力が必要なのであれば、せめて国民の心に響くような語り口とシチェーションで話してもらいたいものだが、今さらそれを願うのは空しいことかもしれない。

 

 4月7日に安倍首相が緊急事態宣言を発令したとき、そしてその説明をおこなったとき、30分近く続いたあまりに冗長な話に緊迫感が遠のいてしまったことを思い出した。

 

 3月23日にジョンソン英首相が国民向けのテレビ演説で、英国全土をロックダウンすると発表した時、その所要時間はわずか6分だった。

 

 それだけにロックダウンの意図するものがどれほど重要な事か、濃く深くそして鋭く英国民の胸に突き刺さり、そして今英国がどれほど危険な状況にあるかを短時間のうちに悟り、英国民の間にそれを受け入れねばならないとする気持ちになったのは疑いない。

 

 演説や話は長ければ良いというものではない。

 

 美辞麗句で着飾った言葉が相手の心を揺さぶることはない。

 そして冗長な話ほど話し手の意図することとは逆の反応を聴いている者に生み出す。

 

 簡潔明瞭な言葉こそ国政を司る者に必要不可欠なのである。

 

 新型コロナウイルスの収束へ向けて国民の協力が必要なのであれば、己の政治生命すべてを感染拡大防止に向けているという熱い訴えをしなければ、決して国民の心に1ミリも響かないだろう。