「厚化粧」発言で思うこと~過熱気味の東京都知事選

 
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 東京都民でなくても、31日に投開票される東京都知事選に立候補した人たちの動向と都議選の結果は今や日本国民の注目の的だろう。
  

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 今回の東京都知事選では21人もの立候補者がいて、メディアもすべての立候補者について報道する考えはないとみえ、特に有望な3人の立候補者のみの動向を毎日きめ細に伝えている。
 
 この現象について、他の立候補者から「偏向報道じゃないか」とクレームも出ているという。
 
 このクレームも理解できなくもない。
 
 またある週刊誌には、選挙妨害ではないかと訴えられた記事も載った。
 
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 微妙な時期と内容を考え合わせれば、これもまたある意味では対立候補者をけ落とす日本の古典的手といえるかもしれない。
 
 一時はGDP世界第二位の経済大国を経験した国であっても、政治の世界では陰湿で狡猾な考えが今だにはびこっているようである。
  
 ところで石原慎太郎都知事が、26日に行われたある立候補者の支援集会の演説で、対立女性候補者について「大年増の厚化粧でうそつき」と批判した。
 
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 また同じく対立する男性候補者についても「売国奴」と言ったという。

 石原氏が言った「大年増(おおどしま)」とはかなり年をとった女という意味であるという。

 しかし、この言葉も時と場所、場合によっては一種の軽蔑語に当たる。
 

  もし「年増女(としまおんな)」と言ったとすれば、娘の年頃を過ぎた女性ということだから対立候補者はかえって喜んだかもしれない。

 
 「大年増」も30歳の女性を指すから少しは喜んでもいいかもしれない。
 
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 問題はこんなことではなく、生まれ国や肌の色や年齢、生まれつきの容貌など、その人の努力の外にある事について批判することは論外であろう。
 
 それでは「厚化粧」はどうだろうか。
 
  一般的に女性は化粧することが普通だとして広く認識されている。
  
 しかし、化粧していないからといって非難されるべきものでもない。
  
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 また「厚化粧」と言ってもそれは主観的なもの
ある。
 
 人によっては「厚化粧」と感じる人もいればそうでもないと思う人もいるだろう。
 
 もし対立候補者が「薄化粧」であれば批判しなかったのだろうか。
 
 そしてそれはどの程度の化粧を言うのであろうか。
 
 
 石原氏の「厚化粧」の発言があった翌日、当の女性候補者は「薄化粧」で演説台に立った。
 
 そして石原氏の発言を直接批判するのでなく、「薄化粧」で冷静に反応したというのがいいではないか。
 
 これこそ大人の対応と言える。
 
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 これに比べてびっくりしたのが次の候補者である。
 
 あろうことか、石原氏が「売国奴」と批判された男性候補者が石原氏の「厚化粧」発言に便乗して、自身の演説で対立する女性候補者を同じように「厚化粧」と批判したのである。

 しかし、ことの重大さに気づいたのか、すぐ発言したことを撤回してしまった。
 自分の演説に高揚してつい本音が出たのかどうか、それはわからない
 
 石原氏もこの男性候補者も、ひと昔前の男尊女卑の考えがその体内にこびりついているように思えてならない。

 ことほどさように、どんなに長く都知事を勤めた人、地方で立派な業績を積んだ人、どんなに立派な政策を掲げた人だとしても、ちょっとした気の緩みで本音を吐いてしまう。
  
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鹿せんべい」ではなくて「鯉のエサ」を売る店の番をしています
私も食べることが出来ますが、商品には絶対手を付けません
 
 都知事選で立候補者の本音は、こうした些細な振る舞いの中に見つけることが出来る場合がある。
 
 立派な政策であればあるほど、それが本当に実現できるものかどうか、それはその人の日ごろの些細な言動でわかるものである。
 
 今度の都知事選では、今までのように都議会の単なるお飾りでない新知事選ばれることを願っている。