こんなことでは東京五輪の開催は危うい

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 東京五輪パラリンピックの開催費用分担でゴタゴタしていて、それらのニュースを耳にするたびにうんざりする。
 
 なぜこんなに揉めるのか。
 
 新国立競技場建設やエンブレムの件でも、問題が明るみに出て形勢が不利になるとみるや、組織員会の会長である森喜朗氏は「私が決めたことじゃない」と言い放つ。
 
 この人は新国立競技場建設で、費用が2000億、3000億かかってもいいじゃないか、と発言したことがある。
 
 
 小池東京都知事が誕生する前から起きたこれら一連のことを考えれば、「今回の開催費用分担のゴタゴタの原因が小池都知事の手腕にある」と、それこそ名指しはしないがそれとなく匂わす森会長の発言に対しては誰しもが疑問を抱くだろう。
 
 
 森会長は新国立競技場建設計画やエンブレム選定にも組織委員会長として関わってきた。
 
 その人が立候補ファイルは「都が作った。文句を言われるのは筋が違う」と発言する。
 
 悲しむべきは、そういう人物が東京五輪組織委員会の会長であるということである。
 
 
 会議や会見の場に彼が現れると取り巻きの連中の態度がなぜか変わる。
 
 必要以上の緊張を強いられているような様子が見て取れる。
 
 非常に影響力のある人物が周囲に良い面で影響しているのであればいい。
 
 そういう無言の威圧感が備わっている人物が組織員会の会長ならばどんな難題でもすんなり決まって当たり前なのに実はそうではない。
 
 
 元総理という肩書きを軸に、大企業に顔が利くということを武器にしていることが種々の会議において如実に読み取れる。
 
 また本人もそのことを自覚して発言し、行動しているようにみえる。
 
 その発言や行動が多くの人に理解され、賛同を得られるのならまだいい。
 
 
 残念ながら形勢が不利になって繰り返される言葉は「私は知らなかった」「それは誰それが決めたことだ」など責任を回避する言葉だ。
 
 
 私は思う。
 
 こんなことが今後も続くのであれば いっそ東京五輪は返上したらどうだろう。
 
 
 日本がオリンピック開催地に選ばれたのは今回(2020年開催)も含めて3回目である。
 
 1回目は、1940年に東京オリンピックが開催されることになっていたが戦争のため、1938年にそれを返上した。
 
 2回目は1964年の東京オリンピックである。
 
 そして2020年の開催地に選ばれた。
 
 
 もし2020年の開催地を返上すれば戦前の分も合わせ2回目となり、ドタキャンではないけれど(戦前の返上は開催のおよそ2年前)返上は不可能ではないだろう。
 
 もちろん返上による多少の金額的損失と多くの精神的犠牲は覚悟しなければならないが。
 
 
 自然災害の多い日本ではいつなんどき大きな災害に見舞われるかわからない。
 
 その上、福島原発の廃処理で今後も多額の費用を必要とされている。
 
 
 東京五輪で多額の費用を使いきったとき、その後に何倍もの報いが来るように感じられてならない。
 
 わずかひと月の祭典だけのために多額の税金が使われることに何か割り切れないものを感じる。
 
 
 オリンピックという祭典を通じて日本や世界の人々に多くのメリットがあることは否定しないが、2020年の東京五輪の開催においてあまりにも次元の低い問題でゴタゴタしているのを見聞すると、こんなことなら「返上」という気になってしまうのである。