稲田防衛相の靖国参拝で真珠湾訪問の評価が落ちた


 車の運転免許を取るために自動車学校などに通った人は教習で「危険予知」という言葉を耳にしたことがあるだろう。
 
 たとえば車を運転しているとき、前方の歩道に小さな子が居るのが見えた。

 その子はじっと立ち止まって反対側の歩道の方を見ている。その反対側の歩道にはその子の母親らしき人が立っている。
 
 そのとき運転しているあなたは何を考えるか。


 その子はずっとその歩道に立ち続けているかもしれない。車をこのまま走らせても危険はないだろう。

 そう考えて車のスピードも緩めず走らせたらどうなるだろう。

 何も起こらず、車は子供の前を通り過ぎるかもしれない。
 
 しかしひょっとしたら、その子は反対側の歩道に居る母親の元へ急に駆け出すかもしれない、近づく車の前方を横切って・・・。


 簡単に言えば、「もしも」とか「ひょっとしたら」という自分にとって不利な事態を予想することが「危険予知」である。

 それはひとつだけとは限らない。いくつもの危険なことが予想されることがある。


 ある行動(この場合は車を走らすことだが)を起こそうとしたとき、多くの人は自分に都合の良いことばかりを考える。
 

 稲田防衛相が真珠湾慰霊訪問から帰国した翌日に靖国神社を参拝したが、この行動によって生じるであろう日本という国にとって、あるいは安倍内閣にとって、あるいは自分にとってネガティブな種々のことを予測したのであろうか。


 安倍首相の真珠湾慰霊訪問は、ある程度好意的な評価が下された、と思っていた矢先に今回の稲田防衛相の不可解な行動である。

 ただ安倍首相の真珠湾訪問時の演説などは、広島を訪問したオバマ大統領の演説を、あるいは振る舞いをコピーしたかのような内容で少々白けたものである。

 とはいうものの、「和解の力」によって「不戦を誓う」ことは誰にも納得のできる内容であった。

 帰国早々の稲田防衛相の靖国神社参拝はそういうことにすべて水をさした。


 真珠湾慰霊訪問に同行した防衛大臣が、真珠湾の奇襲攻撃に深く関係した者をも合祀されている靖国神社をすぐさま参拝したことは皮肉にも思える。と同時に真珠湾で演説した安倍首相の演説が空疎に思われてくるのである。

 この稲田防衛相が靖国神社に参拝することは事前に安倍首相に知らされていなかったのだろうか。

 もし知らされていたとしたら、真珠湾慰霊訪問の直後に靖国神社を参拝することのリスクを安倍首相や側近、稲田防衛相はどのように考えていたのであろうか。

 今となっては真珠慰霊訪問をしたこの数日間の安倍首相や稲田防衛相の行動がとても矛盾したことのように思えるのである。
 
 それは次のように例えればわかってもらえるかもしれない。

 今年5月、米国オバマ大統領は被爆地広島を訪問した。

 もし、帰国した翌日にオバマ大統領あるいは米国の国防省の要人が広島に原爆を投下した操縦士の墓を参拝したとしたら、日本人あるいは被爆した人たちはどう思うだろう。


 一つ一つの行動を単独に取り上げればまったく問題が無さそうなことも、その行動の直近にある別の行動の評価を大きく変えてしまうことを銘記すべきだろう。


 都合の良いことばかりを取り上げてネガティブなことはあまり考えないということは、危険予知能力が無い者が日本国という車を運転しているのと同じである。