日本の政治は「三流国家」になりつつある
答弁する根本厚労相
私が怒りを覚えるのは、自分たちの答弁が矛盾していることを当人たちも十分認識しているであろうということだ。
それがわかっていながら、恥ずかしげもなく同じ答弁を繰り返す。
これは国民に対して平気でウソをついている、ということだ。
こんな人たちに、真実や真相とかを問うても無駄なような気がする。
これが政治を渡り歩く術だというならば、そんな政治は早く廃ればいい。
質疑に対するこれらの人たちの答弁はまるで三流国家を思わせるようなものである。
自己保身と現政権の忖度に終始した答弁は聞いていても吐き気がする。
今や政治家や役人の多くがこのような病状に侵されている。
いわば国民に奉仕する政治家や役人の精神の凋落である。
これらの人たちは、自分の子供たちにも「こうやって世の中を渡って行くんだよ」と教えているのだろうか、そうではないだろう。
国の仕事に携わる者は誰であろうとも、日本という国家と国民を最優先にした行動をすべきであろう。
このような政権がまともな民主国家を維持できるとは思えない。
今のような国会をみると、日本は堕ちるところまで堕ちないと政治家や役人たちにはわからないだろうし、まともな国家にはならないのではないかと思えてくる。
国民に真実を隠し、政権に都合の良いことばかりを宣伝する。
これは先の不幸な敗戦に至った戦前、戦中の日本とそっくりである。
戦後の日本は貧しかったが、敗戦があったからこそ多くの日本人がまともな政治を望み、精神はかえって純粋になった。
今になって考えると、日本の政治家が国家と国民を念頭に置いて真剣に政治を行った時期は、昭和30年~昭和60年までだったように思える。
確かにその間の政治は戦後の混乱もあって、西欧諸国から見たら幼稚で稚拙な政治であったかもしれないが、少なくとも国民を騙そうとするような政治は無かったように思う。
現在の日本は「民主国家」という衣をまとってはいるが、その深部では政治家や役人が都合の悪い真実を国民に語ることをしない、うわべだけの「民主国家」だと思えて仕方がない。
国会に対する現閣僚たちの意識はこんなものである。
このような真実に基づかない空しい国会の答弁を聞いていると、日本という国の行く末に一抹の不安を覚えるのである。