体制側に忖度しない人達
俳優の佐藤浩市が出演する映画「空母いぶき」で総理役のキャラクターについて佐藤は「彼はストレスに弱くて、すぐにお腹(なか)を下してしまうっていう設定にしてもらったんです」と述べたことが安倍応援団の人たち(特に咋家の百田尚樹氏)を怒らせたということについて、5月14日のテレビ朝日の「羽鳥モーニングショー」でコメンテーターの玉川徹氏は「(安倍応援団みたいな人が怒るといやだなと思って)せっかくそういう風に考えたことをやめてしまう方が忖度、忖度で嫌だと思います」と話していた。
そして、むしろそういういきさつで総理役を演じることになった映画に玉川氏は興味が湧いたとも言う。
俳優が現体制に忖度して、己の主義主張を封じ込めて演じるのをしばしば目にする。
そういう時のその俳優の演技はぎくしゃくして、観ていても違和感を覚えるときがある。
俳優に限らず、スポーツや学術、文壇などの分野でもそうだ。
その一つの例として、国民栄誉賞を受賞した人物の浮ついた言動を稀に見聞きすることがある。
何か無理をしているような言動なのだ。
いろいろな分野でこれまで多くの人が国民栄誉賞というものを受けてきた。
ただ受賞後のそれらの人たちの言動は現体制に対して非常に忖度したものが見られることである。
国民の間で時の人となっている者に対して、国民栄誉賞を与えることは体制側の支持率アップにつながるのである。
福本氏は本人が辞退、古関氏は没後であったが遺族が辞退、イチロー氏は2001年、2004年、そして2019年の3回打診されたが、特に2019年の3回目の打診の時に本人は「人生の幕を下ろした時に」と辞退している。
なぜなら統一地方選を控え、目立ちたかった安倍首相にとって有利になる材料が無くなったからである。
イチロー氏は辞退の理由を哲学的な返答で返しているが、真実は他にあると私は思っている。
イチロー氏の性格からいえばそれは十分考えられることである。
何らかの圧力が報道機関にあったのかもしれない。
それはともかく、時の政権が国民の間で話題性のある人物に賞を授与して、己の支持率をアップさせようとするのは常套手段である。
どんな人物に、どういう理由で、どんな時期に国民栄誉賞を授与するのかが、政治的に利用されているのかどうかを見極める決め手になろう。
安倍政権の下で今まで国民栄誉賞を授けられた者は7人である。
大鵬幸喜 2013年2月25日
長嶋茂雄 2013年5月5日
松井秀喜 2013年5月5日
伊調 馨 2016年10月20日
羽生善治 2018年2月13日
井山裕太 2018年2月13日
羽生結弦 2018年7月2日
これらの日付の前後にどのような政治行事があったのか、調べてみるのも面白いだろう。
私は、国民栄誉賞を批判しているのではない。
ただそれが政治の私的利用と誤解されない時期を考えるという冷静な判断が授与側と受賞者側の双方に必要ではないだろうか。
体制側に忖度すれば世渡りがスムーズになる、というような安易な考えが蔓延しているのでないかと思われるようなこの頃、時の政権に忖度しない俳優の演技をぜひ観てみたいものである。