この日の国会中継(4)~参議院の役割


 今日(3月2日)の国会中継参議院予算委員会である。
 
 平成28年度の予算案が衆議院を通過して舞台は参議院に変わったが、国民は参議院についてどう思っているのだろうか。
 
 政府は予算案が衆議院を通過したことにより、年度内の成立は確実になったと安堵している。だから誤解を恐れずに言えば、参議院予算委員会は何かプロ野球の消化試合のような感じも受ける。

 ただ予算委員会に限らず、参議院国会中継衆議院と違う印象を受ける。
それは野党などの政府に対する質問の中には鋭いものが多いということである。
 
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参議院TVインターネット中継より
 
 
 衆議院では自己陶酔型の質疑が結構多い。そのために質問時間を自分で縮め、本題の質問をしたときには時間切れとなる場面がよくある。
 
 参議院ではそれがまったく無いとは言わないが、核心を突くような質問をする議員が多い。それもだらだらとした質疑ではなく、鋭い質問を1分もかけずにする。
 
 簡潔明瞭な質問であればあるほど、それに対する各閣僚の答弁がお粗末に見えてくる。
 
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                                               参議院TVインターネット中継より 
 
 各閣僚に対してそういう質問を投げかけるひとりが民主党蓮舫氏である。
今日の参議院予算委員会では蓮舫氏が政府の育児政策について、予算の配分の方法がおかしいのではないかと政府に質した。
 
 たとえば、子育てを旗印に掲げる政府が保育士の給料が安すぎることに対して具体的な政策をしていないことや、三世帯住宅の建設に国が補助金を出すことに対して本当に効果が得られるのか疑問に思うと述べていた。

 一般会計の総額で過去最大の96兆7000億円という平成28年度の予算について、その配分に大きな疑問があるというのが蓮舫氏が言いたいことであるように思われた。

 国家予算が新年度にまたがっても成立しないと国民のみならず国家にも大きな影響がある。
  
 スケジュールどおり審議されて成立するのが政府与党の理想であろうが、問題は審議の内容である。
  
 国会予算委員会ではまれに「この時間をやり過ごせば」と思っているような閣僚たちの顔を見ることがある。

 私は与党であるとか野党であるとかということで色分けをしようと思わない。
 
 
 2014年11月にこの世を去った俳優の菅原文太は日本の国会議員について「国会議員なんてくそくらえだ」と強烈な言葉を残している。
 
 彼は遅々として進まぬ東日本大震災の復興に憤慨してこのような言葉を発したのだと思う。

 こういうことを聞いたことがある。
 
 「元気な者は放っていていい。弱った者を助けるべき」
 
 元気な者、元気な会社は放っていても何かあった時、よほどのことが無い限りちゃんとした判断をする。だから他人が手助けをする必要はない。すぐに助けるべきは困窮した弱い者、弱い会社である。それが社会の底上げに繋がる。
 

 過去最大の平成28年度予算は弱いところ、弱い人間に手を差し伸べるような予算配分になっているか。
 
 景気が良くて財政が豊かなときは予算配分の優先順位にそう神経質になることは無いかもしれない。
 
 しかし天文学的な借金を抱え、東日本大震災原発事故にともなう復興事業や将来の人口減少、さらに不確かな世界情勢の下においてより慎重な資源の配分が求められるのは当然のことだろう。
 

 一時は「ねじれ国会」と悪者扱いにされた衆議院参議院与野党の議員数の逆転は、参議院のチェック機能を明確に持たせるために必要なことであると思う。