昨日および今日の国会中継(5)~国会中継はなぜ退屈か

 
 昨日(3月3日)の午前の参議院予算委員会を視聴していたが、午後の部は前半を除いてスルーした。
 
 というのもあまりパッした質問や答弁が無かったからでもあるし、午後からはほとんど与党側の質問者だったから。

 質問者の中にはなるほどと思った質問もあるにはあったが、内容は私にとってあまり当たり前すぎて対する答弁は容易に塑像できるものだった。他の質問者のものもいまいちピリリとしなかった。
 
 こういう質問に対する答弁は判で押したように同じで面白味がない。居並ぶ大臣や官僚たちがドキッとするような質問が出ないものか。
 
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、目の前にこんな黒雲・・・  日本の将来は大丈夫か
 
 国会における論戦を面白いとかそうでないとかで評価するのはバチが当たりそうだが、現状の国会は下品なヤジを飛ばす国会議員もいて、誰しもが日本の国会とはこんなものだとあきらめている。
 そんな国会に国民の目を向けさせるには「面白い」というキーワードから入門するほかないだろう。

 育児や年金、医療、介護などで現状に不満があっても、国会中継を観るのは退屈だという人は多い。
 
 国会中継はなぜ退屈なのか。
 
 国会における野党の質問は前もって政府に提出(事前通告)されており、その答弁書は官僚たちによって事前に作成されているので、よほどのことが無い限り大臣、官僚たちの答弁がもたつくことはないという。
 それを閣僚たちは棒読みすればよいのである。
 
 国会論戦のためのストーリーはあらかじめ出来上がっているのである。
 
 答弁のための資料をそろえなければならないと言うのはわかるが、なんだか入学試験の問題をあらかじめ知らせているようで面白くない。いい点を取れるのは当たり前である。

 大臣たちは答弁書を握り締めてマイクに歩み寄り、答弁台にそれを置いて下を向き読み上げる。

 日本の国会における大臣たちの答弁が諸外国と大きく違うのはこの姿である。
 
 外国でも質問の事前通告はあるだろう。
 数字など間違えてはいけないものを確認するためだけならば顔が下を向くのは仕方がない。
 
しかしれ以外は顔を上げてしゃべれよ、と言いたい。
 

 かっては世界第二の経済大国であった日本という国を代表する大臣である。
 
 答弁書の内容ぐらい事前に読み、内容を理解して、国会の答弁は質問者の顔を見て話せよ、と言いたい。そして自分の言葉で答弁しろ、と言いたい。

 そのくらいの能力を持ち合わせているから大臣になったのだろうよ。
 事前の質問内容を少しでもはみ出た質問をすると、事前通告がないからお答えできませんと逃げ回るのはやめてほしい。

 具体的な数字や名称などであれば確認する必要があるかもしれないが、聞きたいのは政府の方針や大臣の考えである。
  
 大臣はお飾りではないはずである。その道に長けているからこそ、その担当大臣に就くことができたのではないか。
 
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 国民が政治に関心を持たなくなればなるほど、為政者にとって政治はやり易くなる。

 日々の生活に追われ、多くの国民が政治から遠ざかれば遠ざかるほど、日本という国は神の国でも、仏の国でも、日出る国でも無くなる。

 将来、東アジアの海に6,852から成る島に農耕民族が住んでいたようだ、と言われているかもしれない。
 
 今(3月4日)、参議院予算委員会の審議中継をインターネットで視聴している。
 
 このインターネットの映像などダウンロードして他に利用することは禁じられているようなので、今後インターネット中継画像を載せるのは止めるが、その代わり下手な写真を目の保養(?)として載せようと思う