第198通常国会の政府演説を聞いて


 本日(1月28日)第198通常国会が召集された。

 この国会召集の「しょうしゅう」という文字を変換すると「召集」とともにもう一つ「招集」という言葉が出てくる。

 まれに「国会招集」を使った文章を見かけるが、これは間違いで正しくは「国会召集」である。

 ご存知の通り、国会を開くのは内閣の助言と承認に基づいた「天皇の国事行為」であるため、目上の者(現在では形式上ではあるが天皇)が国会を開くということを意味するからである。

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                                                                                安倍晋三首相
 
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                                                                                河野太郎外相
 
 しかし、地方議会では対等な立場の者を集めるという意味の「招集」という言葉が一般的で「召集」という言葉は使わない。たとえば「都議会招集」といった具合である。
 
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                                                                               麻生太郎財務相
 
 最近の閣僚の中にはこの「召集」の意味を取り違え、閣僚以外の議員や野党を上から目線でとらえる傾向がある。

「俺たちが召集しているんだぞ」と。
 
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茂木敏充経済再生担当相                                                                
(写真はいずれも衆議院インターネット中継より)                                        
 
 話が大きく脱線した。

 今日召集された第198通常国会の話に戻す。

 安倍首相ら閣僚の政府演説を聞いたが相変わらずの自画自賛美辞麗句の演説であった。
 
  
 安倍首相の施政方針演説では、ことあるごとに与党の「ヨシッ!」とか「そうだ!」などの大きな声の合いの手が入るのを耳にすると、果たしてこれがあの神聖な国会の場なのかと考えてしまう。

 この雰囲気だけを見ていると、どこかの総会屋グループが株主総会に乗り込み、怒声を挙げて会場を威圧しているように思えてならない。

 正直言って、国会中継を視聴する者にとってこの怒声のような合いの手はただただ五月蝿いのである。

 不思議なことに安倍首相はそれを喜び、望んでいるように見える。

 こんな国会の雰囲気は安倍政権になって一層ひどくなったようだ。

 大島衆議院議長がこのようなグループの掛け声には注意をせず、野党のヤジだけを注意するのは完全に片手落ちであろう。

 いつの間にか日本の国会はどこかの独裁国のような雰囲気を呈しているのである。

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 今回も官僚が作文したと思われる手元の原稿に終始目を落として棒読みする安倍首相や閣僚の演説には1ミリさえの感動も覚えない。

 数字や固有名詞など絶対に間違えてはならないものは手元のメモで確認する必要はあるだろうが、一言一句さらに「て」「に」「お」「は」などまで原稿の文章に沿って忠実に読み上げる姿は、なんだか小学生が国語の教科書を読み上げているようである。

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 政治家は自分がこれから行おうとする政策を国民に納得してもらうためには、その政策の内容をおのれ自身がしっかりと把握し、理解し、自身の言葉で語らなければ国民の心には到底伝わらないだろう。

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 演説というわけではないが、日本の政治家の中でその場の対応がうまいと感じ、多少なりとも心が震えた首相のひとりといえば、主義主張に違いはあるが小泉純一郎元首相が思い浮かぶ。

 小泉元首相の国会での演説は、滔々とそつなく話すというタイプではなかったが、短いフレーズの中にチクリと心を打つ言葉がいくつもあった。

 小泉元首相が安倍首相と違う点は、自分の発言に他の者を不必要に巻き込むーたとえば演説で自党の議員に合いの手を頼んだり期待するなどーということがほとんど無かったことである。

 このことはあの有名な言葉ー「自民党をぶっ壊す」という発言で証明できる。

 自分が属する党を「ぶっ壊す」などとは普通は言えないことである。
、まかり間違えば党内で孤立してしまう。

 これが本心でないとしても、逆説的に効果があるとみてあえて発言した蛮勇は歴代総理大臣の中では希有である。

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 たとえ思想信条に違いがあるとしても、本心を吐露した政治家の演説は聴く者の心を引き付けるものである。

 官僚が作文した原稿に目を落として棒読みするだけではこうはいくまい。

 話そうとする内容が話す人自身の心身にしっかりしみ込んでいなければ、話し手の情熱や真意が聴衆に届くはずがない。

 今の安倍政権で安倍首相をはじめとする政治家たちの演説を聞いても何らの感動も覚えないのは、その演説内容が自分のものとなっていないがために自身の言葉で話すことが出来ないからである。

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 今回の第198通常国会の政府演説が始まるや否や、それは美辞麗句を盛った自画自賛の上っ面だけの演説だと、またもやわが心が即座に拒否反応してしまった。

 日本の政治家から心の底を揺るがすような感動的な演説が聴けるのはいつの日の事だろうか。