「そこまで言って委員会NP」で「保育園落ちた」の論戦

 関西エリアで日曜日の午後1時30分にテレビを10チャンネルに合わせると「そこまで言って委員会NP」という人気番組が始まる。
 
 この番組はお昼過ぎという時間帯にもかかわらず、毎回10%以上の高視聴率を上げている。
 
 人気の秘密はパネリストたちの言いたい放題にあるという。
 
 残念ながら関東地方では今でも放送はしていないらしい。
 というのも パネリストたちの少々過激な発言が関東では受け入れられないだろうというのが主な理由であるらしい。
 
 では関西ではハチャメチャな発言に寛容かというと、やはりそこには限度があって、首をかしげるような発言は事前に編集されている。
 だから今でも生放送はせずに、基本的には午前中に収録したものを午後電波に乗せているようだ。
 
 問題発言はすべてカットするというのでなく、規制音を被せているので何を言ったのか視聴者にはわからない。
 こうすればテレビで流しても問題は無いのだろうが、時々前後の発言から何を言ったのか推測できることもある。

 それもまた楽しみである。
  
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 パネリストたちの過激な発言がこの番組の売りだから、きわどい発言をすればするほど視聴率が上がる、ということをパネリストたちはもちろんのこと、番組のプロデュサーは知っている。
 
 ひょっとしてこの番組は 今話題のあの暴言王トランプ氏の手法を先取りしたものかもしれない。
 
 当日のテーマに異論を述べるパネリストを必ず含めているので戦いが盛り上がる。

 局の方針に沿った意見(?)を持つ多数のパネリストに対して少数の異論者という構成もおなじみである。
 
 この番組の功労者である故やしきたかじんが出演していた頃は毎週観ていたが、番組名で「たかじんの」がとれたころから次第に縁遠くなった。
 
 最近はどうもパネリストたちが台本どおり演じているように見えてしまうからである。
 
 所詮バラエティー番組だから肩肘張って観ることはないのだが、現在の日本で起きている微妙な問題を取り上げてパネリストたちが論戦するので、以前はその魅力にはまり込んだのも事実である。
 

 さて前置きが長くなったが本題である。

 今日(20日)、たまたま合わせたチャンネルで「そこまで言って・・・・」が映ったので久しぶりに観ていたら、「保育園落ちた日本死ね!」のブログについてパネリストたちが意見を述べていた。
 
 今日の「そこまで言って・・・・」は、国会でこのような匿名ブログを取り上げる必要が「ある」か「なし」かをパネリストたちに問うていた。
 
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3月20日読売テレビより
  
 それに対して8人のパネリストのうち、5人が「あり」残り3人が「なし」であった。

 そしてこの日のテーマで「なし」を選んだパネリスト3人の発言には正直言ってカチンときた。

 まず一人目。
 
 このブログを投稿した匿名者に対してミソクソまくし立てていた場面が大きく映ったのである。
 
 あまりに乱暴な言葉で詳細は聞き取れなかったが、おおこの人はこんなことを言うんだ、と驚いた。
 
 このパネリストは素朴な趣がある反面、間違ったことに対してはかなりきつく発言する、正義感の強い人だという印象を持っていた。

 パネリストは良く知られた有名人、一方ブログの匿名者は保育園に落ちた子をもつ普通の母親である。
  
 二人目のパネリストは、「日本死ね!」という言葉を使っていることに憤りを述べていた。
 
 このパネリストは同じこの番組で、あの田中角栄を学歴も知恵も無い総理大臣と評した人である。
 
 「保育園落ちた」の投稿者が怒りのため止むに止まれずに使った言葉を、何の悩みもない者が平穏なときに発する言葉と比較すること自体が誤っているのではないだろうか。
 
 そして最後に年功も徳もあろうと思われるパネリストの発言。
 
 こともあろうに このブログの投稿者に対して言ったのだろうが
 「日本死ねって書いた人間がxxばいいんだよ」と言った。
 
 正直言って、この番組でこのような発言が出てくるとは思いもしなかった。
 
 公共の電波を使って、有名人が一般の個人を非難する。
 
 もしこの番組を「保育園落ちた」のブログの投稿者が観ていたらいたたまれない気持ちになったことだろう。
 
 局ではどういうわけかこの発言を全部カットせず、xxの部分を規制音で消していたがxxは誰にもわかるものだ。
  
 局の思惑もあったのだろうか。

 確かに「保育園落ちた日本死ね!」の文中には過激な表現がある。
 
 「死ね!」のほかに「不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園ふやせよ」とある。
 
 おそらくこのブログの匿名者は保育所に落ちたショックがおさまらない状態でキーを打ったのであろう。
 
 会社も辞めねばならないし、これからの生活をどうしたらよいのか、その怒りをキーにぶつけた結果、こんな過激な言葉に変換されたのだろう。
 
 過激であるからこそ当人のやり場の無い怒りが伝わってくるのである。
 
 もしこのような過激な言葉が無かったら、国会で保育士の待遇や待機児童のことについて再度取りあげていたかどうかわからない。
 
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3月20日読売テレビより(一部)
 
 人それぞれにいろんな意見があって当たり前。
 
 だがしかし、保育園を落ちて育児のために仕事を辞めなければならなくなるほど追い込まれたブログの投稿者と、バラエティー番組のひな壇に座ってのんびりと社会の矛盾をあれこれ議論に興じるパネリストたちの気持ちのありようには天と地ほどの違いがあるように思える。

余談だが「そこまで言って委員会NP」のNPの意味は「ノープレブレム」ということだが、本当に日本の社会はノープロブレム?