自由と民主主義の国、アメリカはどこに行った
今年初めての投稿である。
昨年末までは騒がれていた衆院早期解散もどこかに胡散霧消した。
そりゃそうだろう。世界中がトランプ大統領の言動に振り舞わされている中で、日本だけ呑気に解散選挙とはいかないだろう。
しかし安倍首相は昨年12月の真珠湾慰霊訪問直後ころまでは、できたら解散したい気持ちでいたのではないか。
「解散の〔か〕の字も考えたことは無い」と言う時ほど可能性はあったからである。
さて、今日のある新聞のコラムに面白い記事が載っていた。
帳簿はもちろん今日の儲けがいくらだったかを記すもので、それを昼でも夜でも松明の灯にかざして確かめるのである。
それが現状の調査やきちんとした計画、事前の準備も無く、唐突に実行に移してしまうその手法に、大国のトップであることの資質を疑ってしまうのは私だけではあるまい。
政治はビジネスではない。
「自国ファースト」は今更言うことでもなく、国というものが出現してからその国のトップが実践してきたことである。ただ自国と他国のいろいろな分野でのバランスを取り合って妥協点を見つけ、互いに繁栄の道を探ってきたのである。
もちろん国家間のバランスが崩れて争いに発展したこともあるが、それらも教訓として世界をリードしてきたアメリカで、その大統領トランプ氏は宗教や人種で差別を肯定するかのような政策をとり始めた。
自由と民主主義の象徴である自由の女神像(今は「自由の像」というらしい)が帳簿を片手に持った金儲けをたくらむいやしい像に見えてならない。
米国トランプ大統領が発令した「7カ国の入国制限」について、この国会で野党から問われたときに安倍首相は「コメントすべき立場にない」と答えた。
G7グループでイタリアを除く各国のトップは一様に「宗教、種族で差別を設けるべきでない」との精神から、この大統領令に対して批判のコメントを述べている。
かつて安倍首相は「G7の中でも日本がリーダー的な指導力を発揮していきたい」と語っていた。
そうならば、たとえトランプ大統領との会談を2月10日に控えていたとしても、人権の根幹を揺るがせるような「入国制限令」に先進国としてコメントすべきであろう。
「コメントする立場に無い」とは体のいい逃げ言葉である。
強固な同盟国を言うのであればなおさらで、相手に異を質してよかろう。
その勇気が無いとはあきれてしまう。
日本の政治家のトップは日ごろは偉そうなことを言ってもいざとなるとこんなものか、だからいつまでも米国のポチだ、と言われるのではないか。
しっかりと日本国の首相としてのコメントを述べることは、2月10日のトランプ大統領と会談で日本の考え方を事前に知らしめるひとつの方法でもあったのに残念でならない。
しかし頭を下げ下げ会談に臨み、対面を気にして防衛や貿易関係で極端に不利な要求を呑まされるより、よほどいい。
これではまるで彼の国の思う壺ではないか。
こういう状況の中でまともな日米首脳会談ができようか。
ビジネス感覚で政治を牛耳る相手方は無理難題を押し付けてきそうな予感がするのである。
主張すべきことは時期を失せずに言う。そして時間を置く。
日本ファースト、日本という国を守るためにそれも必要なことである。