日本はどこに向かっているのか~父の日記に書かれていたこと(2)


 昨日(3月31日)、大阪府大阪市は不正受給の疑いがあるということで森友学園が運営する塚本幼稚園などに立ち入り調査を行った。

 これに立ち会った籠池理事長がマイクロバスで登場するというのも大方の予想を裏切るものではなかったか。

 そういう籠池氏であるが、テレビなどで彼の今ままでの言動や振る舞いを見ていると、戦前満州で働いていた父や上官や衛兵と非常に似通っていることに気付いた。

 もちろんこれは私自身が直接見聞きしたのではなく、父の日記に書かれていた状況からそのように推測したのである。


 当時の多くの国民は、信じるとなれば一途に信じ、危急存亡の秋(とき)には身をもってそれを制することをいとわない、といった精神構造である。

 だからそういう人たちが信じていた者に裏切られたときの反動はとてつもなく大きいだろう事は容易に推測できる。

 その恨みを晴らすためには我が命を捨てることもいとわないだろう。


 森友問題がとりあげられるようになって、これを報道するある週刊誌に「死なばモリトモ」と見出しが載ったことがあった。
 
 森友問題がここまでこじれてしまった原因のひとつは、安倍首相に裏切られたと思った籠池氏が、それならば「死なばもろとも」の気持ちで反撃に出たことだろう。

 安倍首相も官邸も政府も籠池氏の心がここまで変わるとは読み取ることができなかった。

 相手はどうせ一般人、証人喚問に呼び出せば押さえ込むことができると、たかをくくっていたのだろう。


 戦前の行き過ぎた国粋主義教育勅語の下で育った若者はほとんどが同じような、「死なばもろとも」的な考えを持っていた。

 その点は父も同じで、満州から引揚げてきて何十年も経つのに、若いころに染み付いた極端な国粋主義は他界するまで抜けなかった。

 そのため母はいつも苦労させられていた。

 その父の性格が丸くなったのは晩年床に伏してからである。

 その時になって父は、満州における行状について深く後悔する言葉を発するようになった。

 前にも書いたが晩年の父は「戦争を知らぬ者が戦争を語っている。戦争を知らぬ者が軍拡を唱えている」と言い、そしてこういうことも言っていた。

 「自分が戦場に行くのならともかく、子供や孫が戦場に狩り出されるのは夢でもイヤだ。赤紙は軍拡を唱えた政治家のもとには届かぬと思っているが
本人には届かなくても子や孫には届くのだ」と。


 父の日記帳は抜け落ちたページもあって、それを日付順に読んでいくのはとても骨が折れた。

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  父の日記帳には「兵役法摘要」や「戸籍法摘要」のページもあった。
 意地の悪い上官の質問にもすぐに答えられるよう、常日頃これらを読んで記憶していたという。

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 「226事件」が起きる直前の日記には総選挙のことが記されている。

 昭和11年2月24日 「民政大勝」「総選挙結果」「鈴木総裁落選」などの文字が見える。
(プライバシー保護のため、一部写真は加工している)

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 前にも書いたが、問題がありそうなページは破りとられていた。

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 昭和11年3月1日には 「満州国建国祭」があったとみえ、「花電車花バス運転」とある。父はこれらを運転したようである。

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 つかの間の息抜きであろうか、5月14日の日記には「野球戦」をしたとある。 しかしチーム名が読めない。点数は 「1対2」で、父のチームはどうだったのか。
 
 しかし、このような楽しい日ばかりではない。

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 昭和11年4月23日の日記には「 馬賊 頭目 首切り 二人」という衝撃的な記載がある。

 しかし文中を見てもそれ以上の記述はない。

 父がそれに関与したのか、それとも単に情報として記したのか、わからない。

 このページは見逃してしまって、破り捨てられなかったと思われる。

 父は上官を乗せた軍車両を運転して満州のあちこちを走ったり、周辺をパトロールをしていたようである。

 日記には奉天、山城鎮、通化などの地名が盛んに出てくる。
 
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 たとえばある日の日記には「通化ー山城鎮」「一四五粁 二・三〇」「軍政部大臣」「通化より山城鎮」とある。

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 昭和十一年十二月三十一日の日記。最後の行に「この戦場は何一つ正月気分〇なし」とある。

 これがこの時代の満州で暮らしていた日本人の本当の気持ちを表しているように思う。


 国粋主義に染まっていた父も、12月31日の大晦日を両親が居る本土の家ではなく、戦場で迎えることの寂しさを、つい日記に書いてしまったのかもしれない。
 
 父の日記は読みづらい箇所もあって途中を飛ばしたページも多くある。

 もっと重要な内容が書かれた箇所があるかもしれない。

 それは追々読み終えた時点でアップしようと思う。


 祖国を遠く離れた戦場で暮らしていた父が命を賭けて持ち帰った日記を通して、家族に訴えたいことは何だったのか。

 それはもう戦争だけはイヤだ、ということではないだろうか。

 現在のような不安定な世界情勢の下で、理想を唱えさえすれば平和を保てるものではないということはわかる。

 しかし、理想に背を向けていけば人類はいつかは破滅の道を歩むことになるだろう。

 過剰な国粋思想や防衛思想はある種の薬物にも似て、私たちの思考を麻痺させるものだということを知らねばならぬ。