政治家の「潔さ」と「狡猾さ」
政治家の「潔さ」とは何か?
それは昔から持ち続けていた日本人の「美徳」ではなかったのか?
今では「潔さ」は疎んじられ「狡猾さ」を頻繁に眼にするようになった。
日本の国会では
頼まれたことがないのなら、安倍首相の加計理事長に対する忖度か?
(MBSTV 2017年5月18日 より)
それでも政府はこれらの文書の信憑性が定かでないと言っている。
さらに文科省は19日、その内部文書は存在が確認できなかった、と早くも幕引きの体勢である。
一部の関係者のヒアリングと省内のデジタル記録を調べただけである。
典型的な形だけの身内内部調査である。
これだけ具体的な内容なのに、知らぬ存ぜぬとは・・・
(MBSTV 2017年5月18日 より)
一方こういう情報もある。
実は政府もこの文書が本物であるということを認識していて、それをリークしたのは文科省関係者で問題があり処分された人物だとみているという。
文書の内容を「99%その通り」と認めている人物がいる。
日本人の「狡猾さ」
官邸は「そういう事実は無い」と口先で言うだけで、納得する証拠を今も国民に示さない。もしこの2つの件がウヤムヤになったら、恐らくこの政権は今後も数に頼んだ同じような政治をするであろう。
アメリカでは
あのトランプ大統領でさえ、自分が行ってきたことを全面否定はしていない。
(よみうりTV 2017年5月18日 より)
たとえば「ロシア疑惑」において、「自分が行ってきたことは正しかった」と言い、米大統領としてはいささか分別に欠けるようなこと、たとえば「(機密情報を漏らしたのは)ロシアと情報を共有したかった」とか、ロシアのラブロフ外相らとの会談においては「ロシアのことで、私は大きな圧力を受けていたが、それが取り除かれた」とか、解任したコミー氏について「狂っていて本当に変人だ」だと発言した(米ニューヨーク・タイムズ紙、19日)ともいう。
民主主義国家の大先輩 アメリカは本当に大丈夫か?
(よみうりTV 2017年5月18日 より)
極めてKYな言動だと一笑に付すにはあまりにも大統領の資質に欠けた発言だが、争点がはっきりしていて私たちには分かりやすい。
それはトランプ大統領がこれら己の一連の行動に対しては、記者団の質問を無視するか、あるいは「正しい行い」だとして、行動そのものを全く否定していないからである。
事実は事実として認めるがそれは正しかった、という論法である。
「ウソをついてまで」の悪あがきはしない、ということか。
政治家が失った「潔さ」
(MBSTV 2017年5月18日 より)
他方、野党の追及方法にも問題がある。
いわゆる疑わしい状況証拠は揃っているのにいまひとつ決め手が無く、結局は相手の「自白」を待たなければならないという、国民としては実にまどろっこしい展開を今まで見てきた。
今の政権に、疑惑を追及したら潔く「はい、そうでした。申し訳ありません」と期待するのは到底無理である。
ならば相手の逃げ場が無いように、もっと強力な物証を突きつけて国会で追及するようにできないものか。
もちろん追求にも戦術を考えてはいるだろうが、これまでの論戦を見る限り、事の重大さに比べてあまり効果を発揮していないように感じる。
教育勅語と日本人の「潔さ」
日本人は昔から「潔さ」を誇りにしてきた。
それは武士道にも色濃く反映されている。
「潔さ」は本人はもとより家族にも恥をかかせぬためであった。
そして政治家の「潔さ」は日本という国に恥をかかせぬために必要なのである。
実態に基づいた株価であればこんなことで大幅な変動はないはず
(MBSTV 2017年5月18日 から)
日本の株価も同じ
(MBSTV 2017年5月18日 から)
そしてそのような人間が現に今の日本の政治を牛耳っているのである。