聞く耳を持たぬ安倍首相

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「地域に関係なく、2校でも3校でも意欲のあるところには
どんどん獣医学部の新設を認めていく」と述べた安倍首相
(6月26日 TBSテレビ{ひるおび」より)

 6月24日に神戸で開かれた懇話会で安倍首相は「どんどん獣医学の新設を認めていく」と発言したが、これが加計学園疑惑において、自らがずっと釈明し続けてきた内容と矛盾することに何故気付かないのだろう。

 言っていることが、今まで自分が主張していたことを全部否定することに繋がるということはわかりそうなものである。一国の首相ともなれば、整合性があるかどうかという能力は誰よりも強固に持ち合わせているはずである。

 いや、整合性そのものを理解していないのかもしれない。

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 安倍首相は、自分がどういう信念に基づいて、そしてそれをどういう政策に反映して進めていこうと考えているのか、その下で行動しているようにはとても思えない。

 今までの安倍首相の言動は、場当たり的ではないかと思えるようなことばかりだった。

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 国家権力を手中にして、己が実現したいということだけを、周囲の状況も考慮せずに、強引に推し進める。

 一歩間違えば、これは独裁国と同じである。


 安倍内閣は、強力な人事権を振りかざして、今や各省庁は萎縮して真実を言えなくなっている。

 少なくとも民主国家と言われる日本でこんなことがあっていいものか。

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 今となってはもう遅いが、森友学園問題あるいは加計学園疑惑のことが最初に国会で取り上げられた時点で、安倍首相は一歩引いてでもそれを検証すべきだった。

 「一切関わりは無い。もしあったとすれば総理大臣も、国会議員も辞める」と啖呵を切ったことで、突き進むしかないということだろうか。

 安倍首相は、もはや誰が何を言おうとも「聞く耳を持たぬ暴走機関車」になってしまったのである。

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 ずっと昔、といっても1985年に封切られた「暴走機関車」というアメリカ映画があった。

 この映画の4重連ディーゼル機関車に乗っていたのは脱獄犯だが、安倍首相が操る暴走機関車に乗せられているのは私たち日本国民である。

 映画の暴走機関車は化学工場に衝突する恐れがあるというので、鉄道会社は機関車を廃線に移動して、わざと脱線させることを決めた。当然機関車に乗っている者は見捨てられてしまうのだ。

 映画の中では、ブレーキの故障した無人の先頭の機関車に乗り移った勇敢な英雄は、連結を切り離して後部の機関車に乗った人々の命を救った。一方、英雄を乗せたままの先頭の機関車は廃線の先にある雪原へと消えてしまうのである。

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 私たちの乗った暴走機関車は一体どうなるのか。映画のようにブレーキは壊れていないが、安倍首相は総理大臣という運転ハンドルを握ったまま猛スピードで機関車を走らせている。その運転ハンドルを誰にも渡さないのである。
 
 この暴走機関車を停めることができる者が今の自民党の中に居るのか、
 与党の中に居るのか、国会議員の中に居るのか、国民の中に居るのか。

 こうしている間にも暴走機関車はいつ脱線するか分からない線路を猛スピードで疾走しているのだ。

 誰か~、この暴走機関車を停めてくれー