税申告と、ほとんど脈絡のないアルマーニ「制服」のこと
今年になって初めての投稿である。
今にも雨が降りそうな一面の曇り空を見ていると、郵便局員のバイクの音が聞こえ、我が家の玄関先でそのバイクが停まったようだった。
郵便受けを見てみると、差出人が役場の茶色の封筒が見えた。
封筒の下部にこう書いてあった。
「市民税申告書用紙 在中」
そうか今年も確定申告の時期になったのか、それにしても今年は届くのが遅いような気がする。
「税」という文字を見ていたら、唐突に今論争の的になっているあのアルマーニ「制服」のことを思い出した。
東京銀座にある公立泰明小学校が今年4月の新入生にイタリアの高級ブランド「アルマーニ」がデザインした制服を導入することになったという、
その制服を全部そろえた場合、およそ8万円かかるという。
このことについて保護者などから不満の声が出ているらしい。
小学校制服は普通約2万円程度というから、アルマーニの制服がどれほど高いものかはよくわかる。
小学生と言えば目に見えるほど体の発育は早い。
入学式で合わせた制服が高学年になるにつれて窮屈になり、買い替えることもあるという。
制服の購入は一度だけで済まないのである。
アルマーニの制服の導入をほとんど独断的に進めてきた泰明小学校の和田利次校長は、その理由の一つに「泰明小学校にふさわしい服育の重要な一環」と言う。
服育? 一体何なんだ?
そんな難しいことを導入の根拠にするのか。
それは高級ブランドにこだわらないと実現できないものなのか。
高級ブランドであれば服育に大きく寄与できるという理由を知りたいものである。
過度な高級ブランドの制服の購入は保護者の負担を重くし、さらにブランドの制服を着た生徒とそうでない者との間に差別を生むのではないかという危惧を質問したのである。
今日、郵便受けの封書に印字された「市民税申告書用紙 在中」の文字を見て、私の脳裏に浮かんだのは、この時の国会で答弁に立った麻生大臣の姿だったのである。
意見を求められて答弁台に近づく麻生大臣を見て私はびっくりした。
麻生大臣は自席から答弁台に向かったとき、手に持っていた書類を放り投げたのである。
麻生大臣は答弁書らしきものを答弁台の上に放り投げた
国会で野党議員のひとりが大臣に質問をした。
それが大臣にとって嫌な質問か、くだらない質問か、それはわからない。
しかし、持っていた書類を机上にそっと置くのではなく、ポイと放り投げる姿を見れば、その質問にどういう姿勢で応じようとしているのか、判るような気がする。
麻生大臣の答弁内容は一部の新聞が報じているが、笑いを誘おうとしたのかどうか「あなた(質問者)の背広が高価なのかどうか知らないが」と付け加えたのである。
国会の答弁でこのような発言を聞くと、その直前に手に持っていた書類を放り投げたことと合わせて、何か投げやりな態度のように見えてしまうのは私だけだろうか。
これが私たちが苦労して税金を納め、それを牛耳る大元のトップの態度である。
国家の枢軸に位置する閣僚という者はその地位にふさわしい振る舞いがあるのではないか。
これは他の閣僚、官僚にも言えることであって、これらの人たちの最近の国会答弁を見ていると、国民に対して真摯に対応しているとはとても思えない。
答弁の言葉は丁寧であっても、誰もが周知の一般論を展開したり、質問とはまるで関係ないことを長々と述べたり、果ては禅問答かと思えるような応答だったりする。
悲しむべきは、このような答弁をして執拗な野党の追及をうまく逃れると、そのことだけで能力のある人物だと本人はもとより周囲の者までが思い込むことである。
佐川宣寿元財務省理財局長
彼が理財局長だった当時の国会答弁が虚偽そのものだったという疑いが濃厚になってきている。
論功行賞というまことに耳触りの良い言葉で昇格したこの人事は、疑惑のある重要な人物の危機を嘘の国会答弁で救った「ご褒美」ということに他ならない。
このような人物が国税庁のトップにいる。
私たちが税の申告に行ったとき、申告書に添付しなければならない資料を「無いです」「廃棄しました」と言えるだろうか。
納税者の種々の義務は法律で決まっている、規則だから、と言うのであれば、官僚にはそのような義務はないのだろうか。
むしろ庶民より厳格な規則があってもよさそうなものである。
誰がみても明らかにおかしなことは、国のトップが先頭になって国民に明らかにし、正しい行動を国民に見せるべきであろう。
美辞麗句で飾られた言葉だけの演説はもうたくさんである。
下に居るものは上に倣う。
正直者が馬鹿を見る世の中にだけは、なって欲しくないものだ。