新聞記事の「訂正とお詫び」について


 2月14日付の某新聞朝刊に、前日(13日)の同新聞朝刊のスポーツ欄の記事に関する「訂正とお詫び」を載せていた。

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2月14日付朝刊の「訂正とおわび」

 「訂正とお詫び」文には、お詫びとともに該当する記事を「削除する」とあったが、新聞の片隅に小さく載ったこの「訂正とお詫び」文をどれほどの読者が目にしたであろうか。

 今までこのような「訂正とお詫び」は何度か目にしていたが、今日の場合は看過できなかった。

 なぜなら、12日に平昌五輪男子モーグルで銅メダルを獲った原大智選手について、13日朝刊の記事で「表彰式で胸にかけられた銅メダルを見つめる顔は、誇らしげだった」と見てもいない表彰式について、載せていたのである。

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2月13日付朝刊に載った表彰式(?)での原選手の様子を伝える記事
(写真の一部は加工しています)

 朝刊が配達されたこの時点では男子モーグルの表彰式などまだ行われていなかったのだ。


 「事前に用意していた原稿の一部を確認せずに誤って掲載しました」と「訂正とお詫び」文にはある。しかし問題なのは、記者が実際に表彰式で確認したものでないことが記事となり、報じられたことである。

 人の名前とか、場所だとか、時刻などを事前に原稿文に控えて間違えたというのならわかる。

 ありもしない表彰式で、いかにもその場にいて、見聞きしたような原稿文がそのまま記事になることがどれほど報道の精神に背くことか、誰にでもわかることである。


 今回はたまたまその記事が掲載された日と、表彰式が行われた時間に矛盾があったために明らかになったのであるが、もしこれらの矛盾が指摘されていなかったならば、「胸にかけられたメダルを見つめる顔は、誇らしげだった」ことが事実として、後世に残されていたかもしれない。

 まかり間違うと、事実とはまるで異なることが真実として新聞記事となり、報じられる危険がある。


 私が危惧するのは 今回のようにいかにもその場にいて、表彰式を見てきたような記事の真偽を判別する術が読者にないことである。


 新聞はどういうスタンスで報道するかによって表現が大きく変わる。

 同じことを報じる新聞であっても、見出しは大きく異なる。

 それはその新聞社の方針、主張なのかもしれない。

 見出しを読んだ時から、真実はどうなのか、というファクトチェック精神を持つべきであろう。


 ただ最近の新聞の見出しは週刊誌にあるようなどぎつい見出しになってきているようで、その点が少々気になる。

 今回はスポーツ記事であったが、これがもし政治あるいは社会面の記事だったら、と思うとぞっとするのである。