想像力が欠如した政治家たちに求める
西日本豪雨による被害が日を追うごとに拡大している。
被災に遭われた人たちが猛暑の中、無残に破壊された我が家の後片付けに取り組む様子がテレビで流されるたびに言葉を失ってしまう。
(2018年7月12日 カンテレ(抜粋)より)
(いずれも2018年7月13日 ABCテレビ「羽鳥モーニングショー」(抜粋)より)
それにしても自然の恐ろしさをまざまざと見せつけられた今回の西日本豪雨はあらためて自然に対する人間の無力さを感じた。
自然災害を最小限にするために努力することは必要であるかもしれないが、それが高じて自然に打ち勝とうなどと慢心になるのは避けなければならない。
どうあがいても自然には逆らえないのである。
だからこそ自然災害に対する万全の準備と心構えが大切なのだが、すべての国民が一様にそうすることは難しい。
仕事も生活パターンもそれぞれ違う人たちが、いくら数十年に一度の大雨と言われても各自がその結果を想像することは難しい。
「最悪の状態を想定して」というけれど、それをすべての人間に押し付けることには無理があろう。
その日5日夜に行われた自民党懇親会
(2018年7月10日 ABCテレビ「Nキャスト」(抜粋)より)
数十年に一度の大雨が見込まれるという気象庁の発表が現実に起きたなら、どういう事態が発生するのか、そのことを想像すれば呑気に懇親会などやっていられない、と考えるのが国政を任された政治家のまともな行動ではないだろうか。
さすがに安倍首相の外遊は取りやめたが、5日の自民党懇親会も中止すべきだったのである。
5日の気象庁の発表後に、安倍首相がその夜の自民党懇親会も取りやめて、今回の大雨に大きな関心を払っているということを被災地の人たちが知ったならば、被災地の住民の初期行動も変わっていたのではないのか、と思う。
今回の西日本豪雨は平成になって最悪の被害をもたらした。
まだ犠牲者は増えるかもしれない。
被災地の惨状結果を見てからの取り繕うような政治家の被災地の視察などの行動は、誰にでもできることである。
政治家に必要なことは、事が起きる前にどれほどの想像力(危険予知能力)を働かすことができるか、ということである。
国から高額の歳費を手にして国政に携わる政治家ならば、ある事象が起きそうな時、日本という国と国民にどういう影響が予想されるか、そういう想像力をもっと身に付けてもらいたいものである。
折も折、今回の西日本豪雨の大きな被害にかこつけて、自民党の石原伸晃前経済再生担当相と細田博之前総務会長は12日の派閥の会合で、かつての民主党政権が八ッ場ダムの工事を一時中止したことに絡んで、当時「コンクリートから人へ」という民主党が唱えてきたスローガンを取り上げ、このような考えが今回の災を招いたかの如く発言していたが、全く筋違いの批判である。
つまり今回の西日本豪雨クラスのような大雨の場合は、「八ッ場ダムがパンクして、洪水調節の役には立たない、という危険性がある」という(https://yamba-net.org/problem/meisou/rulechange/)報告もあるのだ。
ダムといえども治水に万能ではないのである。
さらに数十年に一度あるかないかの大雨でダムが満水になった場合、ダムの水を放流する必要がある。
ましてや八ッ場ダム級のダムが決壊したならば、その惨状は目も当てられないだろう。
むしろこれからは新規のダム建設よりも、下流域の護岸の見直しと川底の浚渫が重要だと思われる。
地球上の最近の気候変化は温暖化の影響であるかもしれないが、明らかに100年前と比べて激変しているという。
それは気象庁においても過去のデータが参考にならないほどの変化であるという。
それは素人の私たちでさえ、この数十年の間に感じることができるものだ。
日本という国は火山や地震が多い国で、しかも台風の直撃を受けやすいコース上にある。
日本が自然災害を受けやすい国であることは間違いないのだ。
そのような国の政治家は、経済や外交や防衛などだけでなく、自然災害に対しても、もっと敏感な神経を持ってほしいと思うのである。